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山本勘助 やまもとかんすけ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

山本勘助
やまもとかんすけ

戦国時代の武田信玄の軍師といわれる。片目片足であったが,旗本の足軽隊将となり,兵法にすぐれていた。武田流兵学の祖といわれ,永禄4 (1561) 年川中島の戦いで戦死したと伝えられる。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉の解説

やまもと‐かんすけ【山本勘助】

[?~1561?]戦国時代の武将。道鬼斎と称した。「甲陽軍鑑」に、武田信玄の軍師として活躍、川中島の戦いで討ち死にしたと伝える。

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朝日日本歴史人物事典の解説

山本勘助

没年:永禄4.9.10(1561.10.18)
生年:明応2(1493)
戦国時代の武将。『甲陽軍鑑』には,武田信玄に仕えた独眼で片足が不自由な軍事の天才として記されている。同書によれば幼名は貞幸,のちに勘助,晴幸とする。しかし武田晴信(信玄)の「晴」の字は将軍足利義晴の諱の1字を与えられたもので,それを家臣に与えることは通常考えられない。三河牛窪(愛知県豊川市)の出身で,天文12(1543)年板垣信方の推挙によって信玄に仕えるようになり,次第に認められて足軽大将五人衆と称されるに至る。信玄と上杉謙信一騎打ちをしたとして有名な永禄4(1561)年の川中島合戦で,作戦を指揮して失敗した責任を取って討ち死にしたといわれる。『甲陽軍鑑』が広く読まれたうえ,近松門左衛門浄瑠璃,およびそれを歌舞伎化した「信州川中島合戦」などで取り上げられ,軍師として勘助の名は広く世に知られた。実在については長い間疑問視されてきたが,弘治3(1557)年と推定される6月23日付「市河文書」のなかに信玄が奥信濃の土豪市河藤若に宛てた書状があり,そこに「山本菅助」という名前がみられることから実在説が有力になってきた。しかしこの人物が『甲陽軍鑑』の山本勘助と同一人であるという証拠はなく,実在の人物とするにはなお疑問が多い。<参考文献>上野晴朗『山本勘助』

(笹本正治)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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大辞林 第三版の解説

やまもとかんすけ【山本勘助】

武田信玄の軍師といわれる伝説的人物。三河の人。武田流兵法の祖とされる。1561年川中島で六九歳で戦死したという。生没年未詳。

出典|三省堂
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