港北区(読み)コウホクク

デジタル大辞泉 「港北区」の意味・読み・例文・類語

こうほく‐く〔カウホク‐〕【港北区】

港北

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日本歴史地名大系 「港北区」の解説

港北区
こうほくく

面積:四三・五五平方キロ

市の北部に位置し、東は鶴見つるみ区、西はみどり区、北は川崎市、南は神奈川区に接する。ほぼ中央には南西部から北東部へ貫流する鶴見川、北西部から中央部で鶴見川と合流する早淵はやぶち川、北東部の区境を流れる鶴見川支流矢上やがみ川とがあり、各流域に平地が開けている。至る所に小丘陵が起伏して、おおむね西北は高く、東南に低くなっている。

〔原始・古代〕

縄文早期末から前期中葉にかけて起こった縄文海進で、川和かわわ(緑区)から小机こづくえ辺りまで海が入込み古鶴見湾を形成したと考えられる。早期末から前期初頭にかけて菊名きくな貝塚下組しもぐみ貝塚・北川きたがわ貝塚などがあり、前期中葉になると湾に面した舌状台地に貝塚が集中的に分布し、南堀みなんぼり貝塚には中央に広場をもつ馬蹄形集落跡がみられ、北川貝塚では集落の内側に墓域が確認された。中・後期には馬蹄形集落跡の内側に貯蔵穴と中央広場の一画に墓域のある神隠丸山かみかくしまるやま遺跡がある。弥生時代には、中期に環濠集落大塚おおつか遺跡があり、その近くに歳勝土さいかちど遺跡の方形周溝墓群がある。また権田原ごんたつぱら遺跡などからも環濠集落が発掘されている。古墳時代の遺跡には日吉矢上ひよしやがみ古墳・森戸原もりとはら遺跡・観音松かんのんまつ古墳などがある。

武蔵国分寺跡出土瓦銘(県史一)に「諸岡郷」「高田」とあり、これは「和名抄橘樹たちばな高田たかた郷と久良くらき諸岡もろおか郷にあたるとみられ、それぞれ現在の高田町と師岡もろおか町がその遺称地とされている。古東海道が区域の北部を通ったものと推定されている。師岡町の熊野くまの神社は仁和元年(八八五)創建と伝える。

〔中世〕

鎌倉鶴岡八幡宮との関係が深く、寿永二年(一一八三)二月二七日の源頼朝寄進状(県史一)に八幡宮新宮いまみや若宮領として寄進された地に「師岡保」がみえる。「鶴岡脇堂供僧次第」には供米料所として篠原しのはら・菊名・太尾ふとおがみえ、弘安六年(一二八三)頃寄進されたといわれる。承元三年(一二〇九)の某家政所下文(県史一)には綱島つなしま勝田かちだの地名がみえる。


港北区
こうほくく

1994年11月6日:港北区・緑区再編成して港北区・緑区・青葉区都筑区を設置
【港北区】神奈川県横浜市

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「港北区」の意味・わかりやすい解説

港北〔区〕
こうほく

神奈川県北東部,横浜市北部の区。多摩丘陵の鶴見川中流域にある。 1939年区制。 69年区の西部が緑区として分離。 94年北西部を都筑区として分区。近郊農業地域であったが,1950年代後半から鶴見川沿いに精密機械,自動車,電機などの工場が立地。また東京急行電鉄東横線沿いは急速に宅地化された。隣接区とともに港北ニュータウンと呼ばれる住宅地域を形成している。東海道新幹線の新横浜駅があり,JR横浜線,市営地下鉄,東横線,国道 466号線 (第三京浜道路) などが通じる。面積 31.40km2。人口 35万8530(2020)。

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