日本歴史地名大系 「牛越村」の解説 牛越村うしごえむら 福島県:原町市牛越村[現在地名]原町市牛越・仲町(なかまち)北東流する水無(みずなし)川流域に位置し、東は南新田(みなみにいだ)村、南西は大木戸(おおきど)村、西は石神(いしがみ)村。寛永一六年(一六三九)大木戸村・押釜(おしがま)村を分村したという(奥相志)。同書に「故に昔、野馬逐原を牛越原と曰ふ。今原野大木戸邑に属す」とあり、水無川について「水原は高倉山中に出で石神邑に至つて伏流す。之を水無川と謂ふ。当邑館の下に至つて出づれば則ち田地の用水と為る」と記される。南北朝期と推定される相馬一族闕所地注進状案(相馬文書)に、相馬胤村の女子(次女)分として「牛越村 三十貫文」とみえる。 牛越村うしごえむら 福井県:丹生郡朝日町牛越村[現在地名]朝日町牛越天王(てんのう)川支流の越知(おち)川下流にあり、南は横山(よこやま)村、北は横山村枝村野末(のずえ)・小倉大畑(おぐらおおばた)村。村名は昔お天王様(天王の白山神社の祭神)が海(うみ)浦(現越前町)の海岸に漂着し、牛に乗って当地を越えて田中(たなか)に行き、のち天王に移ったことにちなむと伝える。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図に「牛越村」高二〇二・〇二石とみえ、正保郷帳によると田方九六石・畠方一〇六石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by