朝日日本歴史人物事典 「相馬親胤」の解説
相馬親胤
南北朝の武将。重胤の子。孫次郎,出羽守。建武2(1335)年父重胤から所領を譲与される。南北朝内乱では北朝方につき,吉良貞家に従って下総千葉城に発向し,次いで足利尊氏に従い上洛。常陸関城攻撃に加わったあと,居城小高城によって南朝勢と戦う。その後も三迫の戦,白河結城氏攻撃,さらに貞和3/正平2(1347)年霊山,宇津峰による南朝攻略にも参陣するなど各地を転戦し,奥州管領体制を支える一翼であった。観応の擾乱でも北朝方にとどまり,観応2/正平6(1351)年陸奥国東海道守護に補任されたが,同年柴田郡倉本河に出陣した際に疵をこうむる。延文3/正平13(1358)年に所領を子胤頼に譲与。<参考文献>豊田武・田代脩校訂『相馬文書』(『史料纂集』)
(伊藤清郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報