日本歴史地名大系 「牟佐坐神社」の解説 牟佐坐神社むさにいますじんじや 奈良県:橿原市畝傍地区見瀬村牟佐坐神社[現在地名]橿原市見瀬町小字庄屋垣内高取(たかとり)川左岸の低い丘上に鎮座。「延喜式」神名帳高市(たかいち)郡の「牟佐坐神社大、月次新嘗」とされる。祭神は高皇産霊(たかみむすび)神・孝元天皇。旧村社。「日本書紀」天武天皇元年(六七二)七月二三日条によると、壬申の乱で大海人皇子軍が金綱井(かなつない)(現橿原市今井町あるいは小綱町付近という)で戦った時、高市県主許梅に身狭(むさ)社の生霊(いくたま)神がかかって勝利に導いたので、これを厚く祀ったとされ、元来、生霊神を祀った社であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
世界大百科事典(旧版)内の牟佐坐神社の言及 【身狭】より …欽明朝には,蘇我稲目らによって,大身狭屯倉(みやけ),小身狭屯倉が設置されている。現在,近鉄吉野線岡寺駅のすぐ西に,牟佐坐(むさにいます)神社(式内大社)が鎮座する。この神社の生霊神(いくみたまのかみ)は,壬申の乱の際に託宣したことで知られる。… ※「牟佐坐神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 Sponserd by