日本歴史地名大系 「久米郷」の解説
久米郷
くめごう
現在の
「和名抄」に久米郷とみえるが、その後鎌倉中期まで史料にみえない。建久八年(一一九七)閏六月日の図田帳の一部と考えられる肥後国球磨郡田数領主等目録写(相良家文書)に、
とあるもののうち、少なくとも
久米郷
くめごう
「和名抄」高山寺本に「久米」と記し、訓はない。刊本(慶安元年)に「クメ」と訓じる。同名の郷は大和・伊勢・遠江・常陸・伯耆・美作・伊予・筑前・肥後などの諸国にもみられ、いずれも久米部の居住地と考えられる。延喜八年(九〇八)の周防国玖珂郡玖珂郷戸籍(石山寺所蔵文書)に久米直阿古人丸・同安丸・同道男・同糸売・久米子丸など同姓五人の名がみえることから、久米部はかなり広範囲に分布していたことがうかがえる。
現徳山市の大字久米を遺名とする考えから、ここを郷域の中心とすることに異説はないが、郷の範囲については諸書の見解が異なる。「日本地理志料」は久米のほか
久米郷
くめごう
久米郷
くめごう
久米郷
くめごう
久米郷
くめごう
久米郷
くめごう
久米郷
くめごう
久米郷
くめごう
久米郷
くめごう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報