記紀によれば第20代天皇。穴穂天皇(あなほのすめらみこと)ともいう。『宋書(そうじょ)』にみえる倭王(わおう)の興(こう)にあたるとされている。父は允恭(いんぎょう)天皇。母は忍坂大中姫命(おしさかのおおなかつひめのみこと)。允恭天皇の太子軽(かる)皇子を殺して即位し、大和(やまと)の石上(いそのかみ)穴穂宮(天理市田町付近)に都した。元年2月、坂本臣(さかもとのおみ)の祖根使主(ねのおみ)の讒言(ざんげん)を信じて叔父の大草香(おおくさか)皇子を殺し、その妻中蒂(なかし)姫を宮中に入れて皇后とし、はなはだ寵愛(ちょうあい)した。3年8月、皇后の膝枕(ひざまくら)で昼寝中に、中蒂姫と大草香皇子の間に生まれた7歳の眉輪(まよわ)王に刺殺された。ときに56歳。3年ののち菅原伏見(すがわらのふしみ)陵(奈良市宝来町)に葬られた。
[志田諄一]
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記紀系譜上の第20代天皇。5世紀後半頃の在位という。穴穂(あなほ)天皇と称する。允恭天皇の皇子。母は忍坂大中姫(おしさかおおなかつひめ)命。兄の木梨軽(きなしかる)皇子を攻め,自殺に追いこんで即位したとされる。また大草香(おおくさか)皇子を殺してその妻中蒂姫(なかしひめ)を妃としたことから,その子眉輪(まゆわ)王に殺された。「宋書」倭国伝にみえる倭王済(せい)の世子の興に比定される。菅原伏見西陵に葬ったとされ,奈良市宝来町の古城(ふるしろ)1号墳がそれにあてられる。
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(関和彦)
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…日本古代に大和朝廷によって設けられた名代(なしろ)の一つ。《日本書紀》では,雄略天皇のとき,兄の穴穂皇子(安康天皇)のために設定したという。皇子の宮は穴穂宮であって,この宮の経営のため,宮号を冠して設定された部民であろう。…
…《古事記》では波多毗能太郎子(はたびのおおいらつこ),大日下王ともよぶ。安康天皇は皇子の同母妹である幡梭(はたび)皇女(若日下部命)を天皇の弟大泊瀬皇子(雄略天皇)の妃に迎えようとした。しかしそれを大草香皇子が拒絶したという使者の讒言(ざんげん)のために,大草香皇子は殺されたという。…
※「安康天皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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