安康天皇(読み)あんこうてんのう

精選版 日本国語大辞典 「安康天皇」の意味・読み・例文・類語

あんこう‐てんのう アンカウテンワウ【安康天皇】

第二〇代天皇。允恭(いんぎょう)天皇の第二皇子。名は穴穂命(あなほのみこと)。五世紀半ば即位。「日本書紀」によれば、都を大和石上(いそのかみ)に遷(うつ)して穴穂宮と称し、在位三年八か月、眉輪王(まよわのおおきみ)に暗殺される。「宋書倭国伝」の倭王「興」にあたるといわれる。生没年不詳。

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デジタル大辞泉 「安康天皇」の意味・読み・例文・類語

あんこう‐てんのう〔アンカウテンワウ〕【安康天皇】

記紀で、第20代の天皇。允恭いんぎょう天皇の皇子。名は穴穂あなほ皇居石上穴穂宮いそのかみあなほのみや。在位3年余りで眉輪まよわ王に暗殺された。倭の五王の興に比定する説がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「安康天皇」の意味・わかりやすい解説

安康天皇
あんこうてんのう

記紀によれば第20代天皇。穴穂天皇(あなほのすめらみこと)ともいう。『宋書(そうじょ)』にみえる倭王(わおう)の興(こう)にあたるとされている。父は允恭(いんぎょう)天皇。母は忍坂大中姫命(おしさかのおおなかつひめのみこと)。允恭天皇の太子軽(かる)皇子を殺して即位し、大和(やまと)の石上(いそのかみ)穴穂宮(天理市田町付近)に都した。元年2月、坂本臣(さかもとのおみ)の祖根使主(ねのおみ)の讒言(ざんげん)を信じて叔父の大草香(おおくさか)皇子を殺し、その妻中蒂(なかし)姫を宮中に入れて皇后とし、はなはだ寵愛(ちょうあい)した。3年8月、皇后の膝枕(ひざまくら)で昼寝中に、中蒂姫と大草香皇子の間に生まれた7歳の眉輪(まよわ)王に刺殺された。ときに56歳。3年ののち菅原伏見(すがわらのふしみ)陵(奈良市宝来町)に葬られた。

[志田諄一]

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百科事典マイペディア 「安康天皇」の意味・わかりやすい解説

安康天皇【あんこうてんのう】

5世紀半ばごろの在位。允恭(いんぎょう)天皇の皇子。名は穴穂(あなほ)。大和の石上(いそのかみ)穴穂宮を宮居とした。叔父大草香皇子を殺してその妃を立后したため,皇子の子眉輪(まゆわ)王に暗殺された。《宋書》倭国伝の(わ)王興(こう)にあてるのが定説。→倭の五王

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安康天皇」の解説

安康天皇 あんこうてんのう

記・紀系譜による第20代天皇。在位は5世紀後半。
父は允恭(いんぎょう)天皇。母は忍坂大中姫命(おしさかのおおなかつひめのみこと)。「日本書紀」によれば,兄の皇太子木梨軽(きなしのかるの)皇子を討ち即位,都は石上(いそのかみ)の穴穂(あなほの)宮,攻め殺した大草香(おおくさかの)皇子の妻を皇后としたが,その遺児に殺されたという。「宋書」倭国伝の倭王の興(こう)とされる。安康天皇3年8月9日死去。56歳(「古事記」)。墓所は菅原伏見西陵(すがわらのふしみのにしのみささぎ)(奈良市)。別名は穴穂天皇(あなほのすめらみこと)。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「安康天皇」の解説

安康天皇
あんこうてんのう

記紀系譜上の第20代天皇。5世紀後半頃の在位という。穴穂(あなほ)天皇と称する。允恭天皇の皇子。母は忍坂大中姫(おしさかおおなかつひめ)命。兄の木梨軽(きなしかる)皇子を攻め,自殺に追いこんで即位したとされる。また大草香(おおくさか)皇子を殺してその妻中蒂姫(なかしひめ)を妃としたことから,その子眉輪(まゆわ)王に殺された。「宋書」倭国伝にみえる倭王済(せい)の世子の興に比定される。菅原伏見西陵に葬ったとされ,奈良市宝来町の古城(ふるしろ)1号墳がそれにあてられる。

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朝日日本歴史人物事典 「安康天皇」の解説

安康天皇

生年:生没年不詳
『古事記』『日本書紀』にみえる5世紀半ばの天皇。穴穂天皇ともいう。記紀によれば允恭天皇と忍坂大中姫の子。兄弟に木梨軽皇子,雄略天皇がいる。允恭死後,兄の木梨軽皇子を殺し,石上穴穂宮(天理市)で即位したという。その後,大草香皇子を殺し,その妻中蒂姫を皇后としたが,大草香皇子の子眉輪王に殺された。菅原伏見陵(奈良市)に葬られる。中国の歴史書『宋書』倭国伝に登場する倭の五王の興に比定されている。

(関和彦)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「安康天皇」の意味・わかりやすい解説

安康天皇
あんこうてんのう

第 20代に数えられる大和朝廷の天皇。アナホノミコトと称する。允恭天皇の皇子。母はオサカノオオナカツヒメノミコト。大和石上穴穂宮に都し,皇后はナカシヒメノミコトという。眉輪王に暗殺されたと伝えられる。陵墓は奈良市宝来町の菅原伏見西陵。

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旺文社日本史事典 三訂版 「安康天皇」の解説

安康天皇
あんこうてんのう

生没年不詳
5世紀中ころの天皇
允恭 (いんぎよう) 天皇の皇子。『宋書』倭国伝にみえる倭の五王の一人,興に比定される。

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世界大百科事典(旧版)内の安康天皇の言及

【穴穂部】より

…日本古代に大和朝廷によって設けられた名代(なしろ)の一つ。《日本書紀》では,雄略天皇のとき,兄の穴穂皇子(安康天皇)のために設定したという。皇子の宮は穴穂宮であって,この宮の経営のため,宮号を冠して設定された部民であろう。…

【大草香皇子】より

…《古事記》では波多毗能太郎子(はたびのおおいらつこ),大日下王ともよぶ。安康天皇は皇子の同母妹である幡梭(はたび)皇女(若日下部命)を天皇の弟大泊瀬皇子(雄略天皇)の妃に迎えようとした。しかしそれを大草香皇子が拒絶したという使者の讒言(ざんげん)のために,大草香皇子は殺されたという。…

※「安康天皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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