牟田口村(読み)むたぐちむら

日本歴史地名大系 「牟田口村」の解説

牟田口村
むたぐちむら

[現在地名]大川市下牟田口しもむたぐち

上商人かみあきんど村の東、花宗はなむね川右岸に位置する。北は上木佐木かみきさき(現大木町)、南は花宗川を挟み下木佐木村。久留米柳川往還が通り、花宗川に架かる牟田口大橋は金屋町大かなやまちおお橋と通称され、長さ九間・幅二間(校訂筑後志)。また上妻こうづま福島ふくしま(現八女市)方面と結ぶ街道(通称福島街道)も通り、一里塚があった(在方諸覚書)。近世中期まで上牟田口村(現大木町)とともに牟田口村一村で把握された。のち上・下に分村し、当村は下牟田口村にあたるが、たんに牟田口村とみえることが多い。中世三潴みづま庄のうち。貞和六年(観応元年、一三五〇)一〇月日付で板部成基が坪付形式の申状(光浄寺文書/南北朝遺文(九州編)三)を作成し、三潴庄牟田口村内として「一所伍段溝副、一所壱町蓮町、一所伍段塚町 白垣村内、一所弐段佃田木室内矣」を含む相伝所領の安堵を申請し、同年一一月一七日に足利直冬の裏書安堵を得ている。


牟田口村
むたぐちむら

[現在地名]飽田町無田口むたぐち

白川支流のよけ川のほぼ中ほどに位置し、対岸は池田手永中島なかしま(現熊本市)で、標高二メートル余の水田地帯。天文四年(一五三五)の鹿子木親員知行目録(鹿子木文書)に「六町 牟田口」とある。

慶長一二年(一六〇七)検地帳では田方三三町五反九畝余・畠方一五町三反二畝余、分米五五六石四斗余、家数三八、男三八・女三四、牛一〇・馬二、蜜柑二本・桑二本とある。寛永郷帳には無田口村とある。寛永一二年(一六三五)の地撫帳では、当竿前は田方二三町八反五畝余・畠方九町九反八畝余、このほか「新潟畠」八町一反一畝余とある。同一三年には権藤二郎右衛門手永に属している(「大雑記」飽田町誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android