牟礼ヶ城跡(読み)むれがじようあと

日本歴史地名大系 「牟礼ヶ城跡」の解説

牟礼ヶ城跡
むれがじようあと

[現在地名]金峰町池辺

ほり川右岸、標高五七メートルを最高地点としたシラスの独立丘陵に築かれた山城とその麓の館からなる。池辺いけべ城・池部いけべ城・牟礼城ともいう。阿多北方あたきたかたの地頭二階堂行仲が築いたと伝える(三国名勝図会)。暦応三年(一三四〇)八月、島津貞久方の新田宮権執印代俊正は当城を警固することになり、その後南朝方と合戦となった。同五年九月にも当城を警固している(康永二年九月日「権執印代俊正軍忠状」新田神社文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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