日本歴史地名大系 「牧ヶ島村」の解説 牧ヶ島村まきがしまむら 新潟県:北蒲原郡水原町牧ヶ島村[現在地名]水原町牧島(まきしま)北は庄(しよう)ヶ宮(みや)村、南は堀越(ほりこし)村。牧島村、牧野島村とも記す。正保国絵図に一九〇石余とあり、村上藩領。貞享元年(一六八四)の郷村高辻帳には高一六七石五斗余とある。宝永七年(一七一〇)幕府領、その後白河藩領となり、元文二年(一七三七)の堀越組御検見村順御案内帳(北方文化博物館蔵)によれば、高一八二石八斗余、田反別一二町六反余・畑反別二町一反、家数二一(高持一五・高無五・寺一)・人数一〇四。 牧ヶ島村まきがしまむら 新潟県:西蒲原郡中之口村牧ヶ島村[現在地名]中之口村牧ヶ島大通(おおどおり)川を境に西槙(にしまき)新田村(現吉田町)に接し、南は長所(ちようしよ)村(現燕市)。館野(たての)村・館野池(たてのいけ)村(現燕市)とともに開発されたと伝えられ、「館野三村」と総称されてきた。明暦三年(一六五七)村上藩の総検地を受け、貞享元年(一六八四)の郷村高辻帳に八〇石余とあり、元禄郷帳は長所村枝郷とし同高。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by