牧田村(読み)まきだむら

日本歴史地名大系 「牧田村」の解説

牧田村
まきだむら

[現在地名]上石津町牧田

現上石津町の北端部にある大村。南は市之瀬いちのせ村、北は関ヶ原村・野上のがみ(現不破郡関ヶ原町)村内山村やまむら門前もんぜん上野うえの萩原はぎわら一色いつしき和田わだ平井ひらい二又ふたまたの八つの字名からなる。村の北西部で今須います川と黒血くろち川が合流し藤古ふじこ川となり、萩原で牧田川に合流する。村内を九里半街道が通り、宿場が形成され、また伊勢西街道が分岐する。「吾妻鏡」寛喜二年(一二三〇)六月一六日条に「蒔田庄」とみえる。文禄四年(一五九五)八月三日の豊臣秀吉朱印状(寺西文書)多藝たぎ郡牧田村とあり、村内一千石を寺西正勝に扶助している。


牧田村
まきだむら

[現在地名]富山市牧田

熊野くまの川右岸沿いに位置し、西は青柳新あおやなぎしん村。富山藩領。かつては青柳村のうちに含まれ、延宝六年(一六七八)「牧田村治右衛門・孫右衛門」の署名があり(高堂家文書)、明暦二年(一六五六)の村御印留に村名がみえないことから、同年以後の分村と思われる。元禄一一年(一六九八)郷村高辻帳に村名はみえない。享保六年(一七二一)の村付高改帳(島倉家文書)では高三八〇石余。


牧田村
まきだむら

[現在地名]千倉町牧田

瀬戸せと村の南西に位置する。慶長二年(一五九七)の安房国検地高目録に槙田村とみえ、高一一七石余、うち田方五五石余。里見氏給人領。同一一年の里見家分限帳には真木田村と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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