日本歴史地名大系 「牧落村」の解説 牧落村まきおちむら 大阪府:箕面市牧落村[現在地名]箕面市牧落一―五丁目・百楽荘(ひやくらくそう)一―四丁目・西小路(にししようじ)五丁目など半町(はんぢよう)村の北東にあり、村の南部を西国街道が東西に通る。村の南側は千里丘陵の北端にあたる。豊島(てしま)郡に属する。中世末には西小路・平尾(ひらお)・桜(さくら)村とともに牧之庄(まきのしよう)・牧村などとよばれた。文禄三年(一五九四)一〇月の豊島郡牧平尾村検地帳(平尾共有文書)、同年九月の豊島郡牧西小路村検地帳(西小路共有文書)に、牧落村からの出作人を「おち」「落」と記し、近世初頭には落村とよばれたことが知られる。その後、単に牧村(狭義の)とのみ記される場合(寛永―正保期摂津国高帳・元禄郷帳など)もある。享保二〇年(一七三五)摂河泉石高調に牧落村とみえ、以後、村名が定まったようである。文禄検地頃は豊臣秀吉に仕えた青木法印重直の知行地(中井家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by