日本歴史地名大系 「特牛湊」の解説 特牛湊こつといみなと 山口県:豊浦郡豊北町神田下村特牛湊[現在地名]豊北町大字神田 特牛肥中(ひじゆう)湊の南側に突出した小さい半島を隔てて南側に位置する。水深があり、大型漁船や廻船なども安全に入港でき、現在角(つの)島への定期航路が通う。「水路志」は、「特牛浦は岩礁ありて浦口を阻し、入進に注意を要するも、湾内水深三米以上、泥底にして錨掻きよく、且四方の風波を防ぎ浦口の平瀬はよく濤勢を殺ぐを以て、水路に熟せざる二百石以下の和船は安泊するを得べし」と記す。「地下上申」の神田下(かんだしも)村の項に「特牛浦船無御座候」とあるが、寛延元年(一七四八)の「防長国中田畠並竪横道程」では、特牛湊を「西風に吉き海走なり」としている。「注進案」では、「西方入口瀬有之、風波を防猶湊廻り山高き場所に付繋船場宜しく売買交易無御座候」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by