尼子郷(読み)あまごごう

日本歴史地名大系 「尼子郷」の解説

尼子郷
あまごごう

和名抄」の尼子郷の系譜を引き、中世には甲良庄の内であった。応安六年(一三七三)二月二七日の京極導誉置文(国会図書館蔵佐々木文書)に「甲良の尼子郷」とみえ、ミま(導誉の妻北か)に譲り、嫡子高秀に後事を託している。これは甲良庄地頭職の一部であろう(→甲良庄。同年八月導誉は死去し、永和五年(一三七九)導誉の後家尼留阿(北)の相伝が安堵されている(同年三月八日「足利義満御判御教書」同文書)


尼子郷
あまごごう

「和名抄」は諸本とも訓を欠く。平城宮跡出土木簡に「尼子郷戸主物部□(山カ)戸□□□□宮」とあり、天平二〇年(七四八)四月二五日の写書所解(正倉院文書)によれば、写書所は犬上郡尼子郷戸主羽栗臣伊賀万呂の戸口である国足の出家を出願している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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