犬丸村(読み)いぬまるむら

日本歴史地名大系 「犬丸村」の解説

犬丸村
いぬまるむら

[現在地名]中津市犬丸

犬丸川下流部西岸に位置し、東は同川を挟んで植野うえの村、北は諸田もろた村。貞和六年(一三五〇)一二月日の大友道性安堵申状(新田文書)に「下毛郡野仲郷内諫山々立部田地・同郡山国江淵村并得王丸名内田畠屋敷山野犬丸名田地、及上毛郡三毛門村并吉木有松名田地畠地屋敷等地頭職事」とみえ、足利直冬がこれを安堵した。応永一一年(一四〇四)九月二二日の豊前野仲郷千万名社職免田畠取帳(永弘文書)によれば、野仲のなか千万せんまん名内ホキノエ三反を多年犬丸氏が知行している。この頃犬丸氏は大内氏の下毛郡代野仲氏のもとで、野仲郷代官的な任務を負っていた。


犬丸村
いぬまるむら

[現在地名]小松市犬丸町

かけはし川右岸の平地に位置し、南は島田しまだ村・御館おたち村。「いんまる」とも発音する。正保郷帳では高四三五石余、田方二二町四反余・畑方三町一反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では高三九一石余、免五ツ三分(三箇国高物成帳)。能美郡二曲ふとげ(現鳥越村)から北村氏が移ってきて十村役を勤めた。十村は貞享元年(一六八四)宗右衛門、元禄七年(一六九四)宗七、寛延二年(一七四九)太右衛門、寛政九年(一七九七)与三兵衛、文化一〇年(一八一三)与右衛門がいた。


犬丸村
いぬまるむら

[現在地名]犀川町犬丸

内垣うちがき村の南東にあり、はらい川の東岸で、同川と城井きい川の間の英彦ひこ山から続く小丘陵の北麓に立地。南は木井馬場きいばば村、山地を挟み東は築城ついき伝法寺でんぼうじ(現築城町)。寛正六年(一四六五)一二月七日の大内政弘袖判下文(萩藩閥閲録一)によれば、「豊前国仲津郡伝法寺庄内小犬丸名」二四石七斗足ほかが榎本国忠に宛行われており、「小犬丸名」は当地に比定される。元和八年人畜改帳に犬丸村とみえ、給人一人分の高二八七石余、家数二八・人数五四(うち庄屋一・百姓四・名子九)、牛七・馬六。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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