朝日日本歴史人物事典 「狩野一渓」の解説
狩野一渓
生年:慶長4(1599)
江戸前期の画家。名は重良,一渓はその号。通称は父一翁(狩野内膳)を継いで内膳。狩野光信についたと伝えるが,年代的にみて,ごくわずかの期間であったと推定される。元和9(1623)年『後素集』を書いて中国画論を日本にはじめて体系的に紹介した。寛永2(1625)年将軍徳川家光に御目見えし,以後御用絵師として幕府関係の仕事をしながら江戸で活躍し,朝鮮へ献上したいわゆる朝鮮屏風も制作した。勝田竹翁の子良信を養子にした。作品は父のものと混同され不明な点が多い。代表作に「吉野花見図屏風」(リッチモンド美術館蔵)がある。完全な形で遺る日本で最も早い画伝『丹青若木集』の著者として知られている。<参考文献>添田達嶺「狩野一庵,一翁,一渓及び栄翁重政に就いて」(『芸術』9巻13号)
(河野元昭)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報