狩野岑信(読み)かのう・みねのぶ

朝日日本歴史人物事典 「狩野岑信」の解説

狩野岑信

没年宝永5.12.3(1709.1.13)
生年:寛文3(1663)
江戸前期の画家。覚柳斎と号した。狩野常信次男。宝永4(1707)年徳川家宣より松本姓を賜り,翌年奥絵師となる。江戸の浜町狩野家の祖。作例に「七福神図巻」(板橋区立美術館蔵)がある。<参考文献>田島志一編『東洋美術大観』5巻

(仲町啓子)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「狩野岑信」の解説

狩野岑信 かのう-みねのぶ

1662-1709* 江戸時代前期の画家。
寛文2年生まれ。狩野常信の次男。6代将軍徳川家宣(いえのぶ)の寵遇をうけて奥絵師にとりたてられ,浜町狩野家をおこす。宝永5年12月3日死去。47歳。号は随川,覚柳斎。

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世界大百科事典(旧版)内の狩野岑信の言及

【狩野派】より

…室町中期から明治初期まで続いた,日本画の最も代表的な流派。15世紀中ごろに室町幕府の御用絵師的な地位についた狩野正信を始祖とする。正信は俗人の専門画家でやまと絵と漢画の両方を手がけ,とくに漢画において時流に即してその内容を平明なものにした。流派としての基礎を築いたのは正信の子の元信である。漢画の表現力にやまと絵の彩色を加えた明快で装飾的な画面は,当時の好みを反映させたものであり,また工房を組織しての共同制作は数多い障壁画制作にかなうものであった。…

※「狩野岑信」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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