シャンパーニュ(その他表記)Champagne

翻訳|Champagne

デジタル大辞泉 「シャンパーニュ」の意味・読み・例文・類語

シャンパーニュ(Champagne)

フランス北東部、グラン‐エスト地方の南西地域。シャンパンの生産が盛んで、マルヌ県ランスはその集散地。
シャンパン

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精選版 日本国語大辞典 「シャンパーニュ」の意味・読み・例文・類語

シャンパーニュ

  1. ( Champagne )
  2. [ 1 ] フランス北東部の旧州名または地方名。パリ盆地の東部およびムーズ川の流域の一部にあたり、古くからブドウ酒シャンペン)の大産地として知られる。中心都市は旧州時代はトロアだったが、現在はシャロン‐シュル‐マルヌ。
  3. [ 2 ] 〘 名詞 〙シャンペン

シャンパーニュ

  1. ( Philippe de Champaigne (Champagne)フィリップ=ド━ )[ 異表記 ] シャンペーニュ フランスの画家。フランドル出身。パリに出てルイ一三世の宮廷画家となり、マリー=ド=メディシス、宰相リシュリューらの肖像画を描く。歴史画、宗教画、装飾画の画家としても知られる。代表作「一六六二年の奉納画」。(一六〇二‐七四

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改訂新版 世界大百科事典 「シャンパーニュ」の意味・わかりやすい解説

シャンパーニュ
Champagne

フランス北東部,パリ盆地東部を占める旧州または地方名。マルヌ,オート・マルヌ,オーブ,アルデンヌの4県からなる現在の行政地域(レジヨンrégion)の名と同じであるが,旧シャンパーニュ伯領はその周辺をも広く含んでいる。1285年フランス王領へ併合された。主都はトロアTroyes。パリをかなめとする扇のような,同心円状の三つの地帯からなり,内側は〈イル・ド・フランスの急崖〉の丘陵地帯,中央部は〈乾燥(不毛な)シャンパーニュChampagne sèche(pouilleuse)〉の台地,外側は〈湿潤シャンパーニュChampagne humide〉の低地である。この地方はケスタ地形をなしているため,乾燥シャンパーニュと湿潤シャンパーニュの間には,〈シャンパーニュの急崖Côte de Champagne〉があり,湿潤シャンパーニュの外側では,ロレーヌの側を〈ムーズの急崖〉,ブルゴーニュの側を〈バールの急崖〉が切っている。

 〈イル・ド・フランスの急崖〉の稜線は森林でおおわれ,急崖に露頭をみせる粘土層に湧水線があり,水はけのよい山麓には有名なシャンパンの原料ともなる〈白の中の白(ブラン・ド・ブラン)〉ブドウ酒の産地が広がっている。ブドウ作りは1ha足らずの零細経営が多いが,19世紀の病虫害とたび重なる戦禍によって大企業の買収も進んだ。シャンパンは17世紀につくられはじめたとされるが,醸造元の名の多くがドイツ系であることからわかるように,ライン地方の資本が開発を進め,零細ブドウ園は仲買人を通じて大企業に従属している。ブドウ酒を最低3年は寝かせねばならぬことなど投下資本の回転が遅く,ランスやエペルネーの大シャンパン工場が市場をほぼ支配し,他方,これに対抗して協同組合も活動している。

 〈乾燥シャンパーニュ〉は開けた白亜層の台地で,水がたちまち浸透してしまうため,不毛なサバールsavartとよぶ荒地が多かった。集落はまばらで,河川に沿ったソンムsommesとよばれる泉の近くに立地した。しかし不毛な土地も,19世紀来の植林によって一面の平地林と化し,サバールは軍用地に見られるだけとなった。ついで1950年代から激しい森林伐採が行われ,多量の肥料投下,機械化による大規模農場の急発展が始まった。〈不毛なシャンパーニュ〉という形容は現在も用いられるが,イル・ド・フランス以上に大規模で近代的な農場が成立し,小麦やテンサイを栽培し,牛を飼育する混合農業地帯となっている。農場は機械化が進んで,家族労働による自作農が多く,労働生産性が高い。その風景は広々とした〈豊かな〉シャンパーニュである。

 〈湿潤シャンパーニュ〉は,不透水層の粘土層や砂岩が地表近くにあり,沼沢地が点在し,水流も多く,森林や草地に覆われている。農地はボカージュ(畦畔林)で囲まれており,その中に農家が散村状に点在している。まとまった小村には修道院や領主が開いた新田村に起源をもつものもみられる。農場の規模は小さく,肉牛や乳牛などの牧畜を中心としている。近年,この森と沼の自然環境を利用して,パリの上水道の水源地帯として,ダムなどの整備が進められており,森と湖の観光地としても脚光をあびている。

 3地帯は南北に延びており,特に乾燥シャンパーニュは南のブルゴーニュ地方と北のフランドルを結ぶ絶好の交通路である。西のイル・ド・フランスや東のロレーヌの側には,急崖が南北に走っているが,これらを切ってセーヌ,その支流のオーブ,マルヌ,エーヌなどの河川が流れ,ポルト(門)とよばれる東西交通路を開いており,パリとライン地方とを結ぶ幹線交通路が走っている。このような交通上の要衝に位置しているため,この地方は古代から商業活動が活発で,フランドルの毛織物,イタリアを経由したオリエントの香料,スペインのなめし革,ドイツの亜麻,フランスのブドウ酒,岩塩などが,〈シャンパーニュの大市foires de Champagne〉で取引された。市は12~13世紀に栄え,トロアとプロバンで毎年2回,バール・シュル・オーブとラニー・シュル・マルヌで毎年1回開かれ,おのおのが6~7週間続いた。ほぼ一年中この4市のどこかで国際的な大市が開かれていたことになる。この大市ではすでにその決済に為替手形が使われていた。これも百年戦争や海路の発達により急速に衰退した。この商業活動は今やパリなどに移って,シャンパーニュ地方は北東フランスの人口稠密地帯に穴があいたような過疎地帯となっている。工場も,ランスのシャンパン,シャロンのビール醸造業など原料をこの地方から得る食品加工業,かつて乾燥シャンパーニュに栄えた牧羊業から始まったトロアの帽子製造業,ロレーヌの鉄鉱石と湿潤シャンパーニュの薪を用いて行われていた製鉄業から発達したトロアの車輪,サン・ディジエの鋳物など小規模なものが多い。

 急崖は東からの侵略に対するパリの防衛線であって,しばしば歴史上の有名な戦いがこの地方で行われた。1814年冬にはナポレオンがその少年時代を過ごしたブリエンヌ,モンミライユなどが戦場となった。このほか1870年のスダンの戦,第1次大戦中のシャンパーニュの戦(1915-18)などが有名である。多く点在する慰霊碑は古戦場を示しているが,今なお要塞や軍事施設が置かれている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「シャンパーニュ」の意味・わかりやすい解説

シャンパーニュ(フランス)
しゃんぱーにゅ
Champagne

フランス北東部の歴史的地域名、旧州名。歴史的には現在のアルデンヌ、オート・マルヌ、オーブ、マルヌの4県のほか、エーヌ、セーヌ・エ・マルヌ、ムーズ、ヨンヌ各県の一部が含まれるが、現在は前4県でシャンパーニュ・アルデンヌという行政地域を構成している。地区の面積は2万5606平方キロメートル、人口134万2363(1999)。現在のシャンパーニュ地方の中心都市はシャロン・アン・シャンパーニュで、旧州時代はトロアであった。ブドウの大栽培地域(面積3万5000ヘクタール)で、年間1億5000万本のぶどう酒を生産する。人口密度は1平方キロメートル当り約50人と低く、フランス全体の半分にすぎない。しかし第二次世界大戦後、人口は約25%増加した。小麦、大麦、トウモロコシオート麦の穀物栽培を主とし、大量の肥料を使用する機械化経営が卓越する。ぶどう園は面積的には広くはないが、農業収入に占める割合は高い。牧畜はオート・マルヌ県、アルデンヌ県などの湿潤な地域において卓越する。工業は、鉱山資源やエネルギー資源が乏しいため盛んではなく、織物、精錬業がある程度である。ランス、エペルネ、シャロン・アン・シャンパーニュを結ぶ三角形が発展の中心であり、鉄道、道路の要衝をなす。マルヌ県の東西を東部高速道路が通過し、発展に寄与している。

[大嶽幸彦]

歴史

ローマのカエサルのガリア征服当時、この地方にはベルガエ系とケルト系の諸部族が居住していた。ローマ帝政時代には道路網が発達してガリアの交通の要衝となり、帝政後期にはランス、サンスが重要な行政中心地となった。フランク人の征服後、この地域は分王国によって繰り返し分割された。6世紀末にはランスを中心にシャンパーニュ公領がつくられたが、8世紀には消滅する。教会組織においても、この地域はランス、サンスの両大司教管区に分かれており、行政的統一は存在しなかった。フランク王国の分裂とともに大部分は西フランク王国に帰属し、10世紀にはランス、ランを中心とした地域は末期カロリング朝の拠点となった。この時期にまずベルマンドア伯家がカロリング家と争いつつ、この地方に勢力を伸ばした。ついでブロア伯家が進出し、11世紀初めにモー、トロア両伯領を獲得して南方に勢力を拡大する。その支配圏が11世紀末にはシャンパーニュ伯領とよばれるに至り、後のシャンパーニュ州の原型となった。

 伯はブロア、シャルトル地方をあわせもつ強大な封建諸侯であり、11、12世紀にはカペー朝をしばしば脅かした。すでに10、11世紀において、トロア、プロバン、ラニー(現ラニー・シュル・マルヌ)などの都市に大市が存在したが、12世紀にはこれらの大市が歴代の伯によって整理統合され、綿密に組織されたシャンパーニュの大市が成立した。ここでは毛織物をはじめとする北方物産と、イタリア都市が仲介する東方物産、地中海物産とが取引され、さらに金融市場の機能をも兼ね備えてヨーロッパ各地から商人を集め、14世紀初めまで繁栄を続けた。1274年、相続者が後のフィリップ4世と結婚することにより伯領はカペー家に帰属し、1361年には制度的にも王領に統合された。アンシャン・レジーム期には州を構成していたが、州三部会も高等法院も存在せず、政治的まとまりは弱かった。西部の農業生産は17世紀に衰退したが、ぶどう酒のみはその後に国際的評価を受けるに至った。

[江川 温]



シャンパーニュ(Philippe de Champaigne (Champagne))
しゃんぱーにゅ

シャンペーニュ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シャンパーニュ」の意味・わかりやすい解説

シャンパーニュ
Champagne

フランス北東部,パリ盆地の東部を占める地方。旧州。マルヌ県全体と,アルデンヌ県オーブ県オートマルヌ県の大部分,およびエーヌ県セーヌエマルヌ県ヨンヌ県ムーズ県の一部からなる。今日のシャンパーニュアルデンヌ地域(レジオン)とほぼ同一。全体として平野とゆるやかな丘陵地。中央部は乾燥した石灰岩土壌で,乾燥シャンパーニュと呼ばれ,牧羊が行なわれる。東部には帯状に湿潤な穀倉地帯があり,湿潤シャンパーニュと呼ばれる。北西部のランスエペルネを中心とした,イルドフランス地方との境界にはぶどう畑が広がり,地方名を語源とするシャンパンとして知られる良質のワインを特産する。1314年までシャンパーニュ伯領。以後フランス王領。セーヌ川ロアール川などの水路が張りめぐらされ,12~14世紀にはヨーロッパ大陸の一大交易地として栄えた。大市が年 6回開かれ,フランドルの毛織物,イタリア商人の運んでくる東方の香辛料,北イタリアの絹織物,ドイツの麻織物,北ヨーロッパの毛皮,スペインのなめし革,フランスのワインなどが取り引きされた。その後,百年戦争などにより取り引きは衰退。近世にはしばしば対ドイツ戦の戦場となった。特に第1次世界大戦時のシャンパーニュの戦いは有名。2015年,ランスとエペルネにあるぶどう畑やシャンパン貯蔵庫群などが世界遺産の文化遺産に登録された。

シャンパーニュ
Champaigne, Phillippe de

[生]1602.5.26. ベルギー,ブリュッセル
[没]1674.8.12. フランス,パリ
フランスの画家。風景画家 J.フキエールの弟子,ニコラ・プーサンの友人。ルイ13世の宮廷画家となり,宰相リシュリューに好まれ,最初の絵画アカデミー会員の一人となった。バロック様式の肖像画,歴史画,宗教画,装飾画にすぐれた。主要作品『リシュリュー像』 (1635頃,ルーブル美術館) ,『ルイ13世の誓い』 (1638頃,カン美術館) ,『パリ市政府首席と市参事会員たち』 (1648,ルーブル美術館) ,『1662年の奉納画』 (1662,同) ,『死せるキリスト』 (ルーブル美術館) 。

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百科事典マイペディア 「シャンパーニュ」の意味・わかりやすい解説

シャンパーニュ

フランス北東部の地方。旧州名。現在のオーブ,オート・マルヌ,マルヌ,アルデンヌの各県に相当。パリ盆地の東方に位置。東部のアルゴンヌの森に近接する地域で牧牛,小麦・テンサイ栽培,中部の白亜質の平原で牧羊が行われ,西部はブドウ栽培が盛んでシャンパンの産地。伝統的に金属・繊維工業が発達。6世紀にシャンパーニュ伯領となり,1285年フランス王国に併合。12―13世紀には定期市の開催などで繁栄。第1次大戦の激戦地。主要都市はランス,トロア。
→関連項目フランス

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旺文社世界史事典 三訂版 「シャンパーニュ」の解説

シャンパーニュ
Champagne

フランス北東部,パリ盆地の東部を占める地域
1286年フランス王領に合併されるまでは,トロワを主都とするシャンパーニュ伯領。12〜13世紀には各都市が交替で年6回の大市を開き,イタリアとフランドルを結ぶ内陸交通の要地,遠隔地商業の中心地として繁栄。14世紀以降,あいつぐ戦乱や他地域の都市の発達などにより衰退した。農牧生産,特にシャンパン酒の製造で有名。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「シャンパーニュ」の解説

シャンパーニュ
Champagne

フランス東北部の旧州名。首府トロワ。平坦な地勢から第一次世界大戦などの戦場となる。854年,世襲伯領としてフランクから独立。同地方の大市は中世商業の中心として12~13世紀に繁栄したが,フランス王領に併合(1284年)後,衰えた。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

とっさの日本語便利帳 「シャンパーニュ」の解説

シャンパーニュ(シャンパン)

フランスのシャンパーニュ地方で、瓶内二次発酵方式で造る発泡性ワイン。他地域のものはシャンパーニュを名乗れない。ブドウ品種は白ワイン用シャルドネと赤ワイン用のピノ・ノワール、ピノ・ムニエに限定。

出典 (株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」とっさの日本語便利帳について 情報

飲み物がわかる辞典 「シャンパーニュ」の解説

シャンパーニュ【champagne(フランス)】


シャンパン。⇒シャンパン

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世界大百科事典(旧版)内のシャンパーニュの言及

【市】より

…また第2の鐘が鳴り終わるとすぐ灯火を消し,居酒屋も閉じられた。 中世における市の機能は,シャンパーニュの市に代表されるような遠隔地商人のための仲立市場と,市民自身の商業取引の場とに分けることができる。前者はイタリア,プロバンスからフランドルにいたる大商業路にそって成立しており,シャンパーニュとブリーの歳市がその代表的なものであった。…

【商業】より

…高価な奢侈品交易の背後には,日常生活に必要な商品の交易網がひろがっていた。やがて12世紀にはシャンパーニュの市によって北と南の両商業地帯が結びつくようになる。各地の商人はキャラバンを組んでシャンパーニュを訪れ,香料,毛織物,皮革などを取引した。…

※「シャンパーニュ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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