狩野村(読み)かのむら

日本歴史地名大系 「狩野村」の解説

狩野村
かのむら

[現在地名]南足柄市狩野

西南に明神(みようじん)ヶ岳がそびえ、北を狩(かり)川が流れ、東は中沼(なかぬま)村、南は塚原(つかはら)村、西は宮城野(みやぎの)村(現足柄下郡箱根町)と接する。暦応四年(一三四一)八月七日の摂津親秀大間帳(県史三)に「相模国狩野庄」、応永二九年(一四二二)八月一八日の道光(大森頼春)供料寄進状(同書)に「さかみの国かのゝしやう」、享徳二年(一四五三)一二月一五日の関東公方足利成氏御教書(同書)に「相模国苅野庄」とみえる苅野(かの)(狩野)庄の一部。小田原衆所領役帳に松田左馬助「千弐百七拾七貫七百弐拾文 西郡苅野庄」とある。天正一八年(一五九〇)四月日の豊臣秀吉掟書(県史三)は「狩野庄」に宛てられた。

近世は小田原藩領。正保国絵図には「狩野」、寛永初期の小田原領西筋村々高ノ帳には「苅(ノ)本郷」、万治二年(一六五九)の検地帳写(区有文書)には「本郷村」と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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