宮城野(読み)ミヤギノ

デジタル大辞泉 「宮城野」の意味・読み・例文・類語

みやぎの【宮城野】

仙台市の区名。市の東部を占める。平成元年(1989)成立。古くは野が広がり、はぎの名所として知られた。[歌枕]
「―の露吹きむすぶ風の音に小萩がもとを思ひこそやれ」〈・桐壺〉

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精選版 日本国語大辞典 「宮城野」の意味・読み・例文・類語

みやぎ‐の【宮城野】

  1. [ 一 ] 陸奥国宮城郡の平野。現在、仙台市の地名として残る。広く海岸地帯までを含めて呼ばれる場合もある。古くは秋草、特に萩の名所として知られた。歌枕。
    1. [初出の実例]「みさぶらひみかさと申せ宮木ののこの下露は雨にまされり〈みちのくうた〉」(出典:古今和歌集(905‐914)東歌・一〇九一)
  2. [ 二 ] 仙台市の行政区の一つ。市の東部に位置し、七北田(ななきた)川下流域一帯を占め、海岸部には仙台港がある。平成元年(一九八九)成立。
  3. [ 三 ] 謡曲。三番目物。廃曲。都の僧が奥州宮城野を訪れると、小萩(こはぎ)の精が現われて小萩のことなどを語り歌舞を奏する。

宮城野の語誌

( 1 )[ 一 ]の挙例の「古今集」の歌によって、奥州の歌枕として定着した。
( 2 )「宮木野のもとあらの小萩露を重み風を待つごと君をこそ待て〈よみ人しらず〉」〔古今‐恋四〕の影響で以後、「萩」「露」「秋風」などとともに和歌に詠まれることが多い。

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日本歴史地名大系 「宮城野」の解説

宮城野
みやぎの

仙台城下の東方にあった原野名で、陸奥国分寺跡に建立されたとする国分寺薬師堂の北側に開けていた。「おくのほそ道」に「宮城野の萩茂りあひて、秋の気色思ひやらるゝ」とある歌名所であり、

<資料は省略されています>

など古くより詠まれた。近世の正保仙台城絵図では薬師堂の北東、榴ヶ岡つつじがおかの南東に宮城野とみえる。古代、国府多賀城に至る官道は名取川・広瀬川を越え、当地を経て北上したとされる。文治五年(一一八九)の奥州合戦では平泉の藤原泰衡が右両川に大縄を引き柵を設け、国分原と鞭楯むちたて(榴ヶ岡とされる)に本陣を構え(「吾妻鏡」同年八月七日条)、源頼朝軍を迎えたようであるが、この国分原は陸奥国分寺および国分尼寺の置かれた一帯で当地と考えられる。「封内風土記」も同地を宮城野とする。観応年間(一三五〇―五二)の宗久の紀行「都のつと」には宮城野の萩に触れつつ「中にももとあらの里といふ所に色などもほかにはことなるはぎのありしを一枝をりて」とあり、次に詠む。

<資料は省略されています>

また昔は人が住んだが今は野良山で、草堂一宇しかみえないという。近世にはこのもとあらの里を本荒ノ郷とし、国分尼寺の北方の地とする(封内風土記)。ほか近世には生巣原いけすはらとも称し、「観蹟聞老志」によれば、平原は広く草は茂り、古来有名な錦萩をはじめ女郎花吾亦紅・萩・藤袴・刈萱・桔梗ほか名もなき野草など無数の秋花が一〇〇種を数え、雲雀・鶉が多い。また藩主狩場であり、平日は雉や兎をとる人、草刈樵夫がみだりに入ることを禁じられたため、郷人は活巣原とよんだという。

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百科事典マイペディア 「宮城野」の意味・わかりやすい解説

宮城野[区]【みやぎの】

宮城県仙台市東部の区。1989年区制。区名は歌枕として親しまれた宮城野に由来。七北田(ななきた)川下流域を占め,市の海の玄関,仙台港を含む。JR仙台駅の東側は宮城野通モール事業をはじめ都心の一翼を担う事業が進む。西北部の鶴ヶ谷団地は1960年代後半から仙台圏の大規模住宅団地のパイオニアとして造成。仙台港周辺には新仙台火力発電所やキリンビールなどの工場があり,国道45号線沿いに流通関係企業が集中し,仙台市の製造品出荷額の70%(2003)を占めている。区東部では水稲のほかネギ,ホウレンソウなど野菜栽培が盛ん。58.19km2。19万473人(2010)。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「宮城野」の意味・わかりやすい解説

宮城野
みやぎの

宮城野原ともいう。宮城県仙台市の東部にあった原野で、現在は宮城野区と若林区の西部にあたる。榴岡(つつじがおか)公園の東方、国分寺薬師(やくし)堂の北に開けていた。多賀城に向かう道筋にあたり、国府の南を守る軍事上の拠点であった。ハギ、オミナエシスズムシで名高く、歌枕(うたまくら)で知られ、「宮城野の本荒(もとあら)の小萩露を重(おも)み風を待つごと君をこそ待て」(『古今集』)など多くの歌に詠まれている。宮城県の県名もこの原に由来する。明治以降は練兵場となり、現在は宮城野原公園総合運動場などの体育施設や病院、貨物駅、卸売団地、自衛隊駐屯地などがあり、往時のおもかげはなくなりつつある。

[境田清隆]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「宮城野」の意味・わかりやすい解説

宮城野
みやぎの

宮城野原ともいう。宮城県中部,仙台市東部の広瀬川の河岸段丘と低平な扇状地一帯にあった原野。宮城県の名称はここから生れたとされる。古くは多賀城に向う東海道 (あづまかいどう) の道筋にあたり,軍事上の拠点であった。スズムシ,ハギ,オミナエシなどの名所として『源氏物語』『古今和歌集』などに歌が詠まれている。明治以後陸軍の練兵場となり,現在は公園,陸上競技場,宮城野貨物駅,卸売団地,印刷団地などができ,昔の面影はまったくない。

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動植物名よみかた辞典 普及版 「宮城野」の解説

宮城野 (ミヤギノ)

植物。ツツジ科クルメツツジの園芸品種

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世界大百科事典(旧版)内の宮城野の言及

【仙台[市]】より

…1600年(慶長5)伊達政宗によって開かれた。多賀城に近く陸奥国分寺跡があるが,当時は宮城郡荒巻,小田原,南目,小泉,名取郡根岸の5ヵ村入会の原野宮城野であった。旧領主国分盛重の居城千代城を仙台と改め,近世城郭築造に着手した政宗は,1591年(天正19)以来の岩出山からここに居を移した。…

※「宮城野」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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