狩野融川(読み)かのう ゆうせん

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「狩野融川」の解説

狩野融川 かのう-ゆうせん

1778-1815 江戸時代後期の画家
安永7年生まれ。狩野閑川の子。寛政4年(1792)父の跡をうけて浜町狩野家をつぎ,奥絵師となる。文化5年法眼(ほうげん)。自身の手がけた朝鮮への贈呈屏風に対し,老中が不満をしめしたのにいかり,文化12年3月19日下城の途中で切腹した。38歳。名は寛信別号に友川。
格言など】良工手段,俗目の知る所に非ず

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む