狭城盾列池上陵(読み)さきのたたなみのいけのへりよう

日本歴史地名大系 「狭城盾列池上陵」の解説

狭城盾列池上陵
さきのたたなみのいけのへりよう

[現在地名]奈良市山陵

狭城盾列池後いけじり陵の北方、小字みやたににある周濠の前方後円墳で、全長二七五メートル、前方部の幅一五五メートル、後円部径一九四メートルの大型墳である。後円部頂に祠があったことから、俗に五社神ともよぶ。

文久三年(一八六三)神功皇后陵に治定されたが、同陵は「延喜式」(諸陵寮)に「狭城盾列池上陵」として「磐余稚桜宮御宇神功皇后、在大和国添下郡、兆域東西二町、南北二町、守戸五烟」とみえる。「日本書紀」神功摂政紀には「六十九年の夏四月の辛酉の朔丁丑に、皇太后、稚桜宮に崩りましぬ。時に年一百歳。冬十月の戊午の朔壬申に、狭城盾列陵に葬りまつる。是の日に、皇太后を追ひて尊びて、気長足姫尊と曰す」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

ベートーベンの「第九」

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android