日本歴史地名大系 「狭城盾列池上陵」の解説
狭城盾列池上陵
さきのたたなみのいけのへりよう
狭城盾列
文久三年(一八六三)神功皇后陵に治定されたが、同陵は「延喜式」(諸陵寮)に「狭城盾列池上陵」として「磐余稚桜宮御宇神功皇后、在大和国添下郡、兆域東西二町、南北二町、守戸五烟」とみえる。「日本書紀」神功摂政紀には「六十九年の夏四月の辛酉の朔丁丑に、皇太后、稚桜宮に崩りましぬ。時に年一百歳。冬十月の戊午の朔壬申に、狭城盾列陵に葬りまつる。是の日に、皇太后を追ひて尊びて、気長足姫尊と曰す」と記す。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報