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狭城盾列池後陵(読み)さきのたたなみのいけじりりよう

日本歴史地名大系 「狭城盾列池後陵」の解説

狭城盾列池後陵
さきのたたなみのいけじりりよう

[現在地名]奈良市山陵町

狭木之寺間さきのてらま陵の西に並立し南面する前方後円墳で、周濠をめぐらす。文久三年(一八六三)成務天皇陵に治定されている。全長二一八・五メートル、前方部幅約一一一メートル、後円部径一三二メートル。封土は三段に築成され、葺石を多用し、俗に石塚いしづかともよばれていた。

古事記」成務天皇段に「沙紀之多他那美」、「日本書紀」仲哀紀に「狭城盾列陵」とあり、「延喜式」(諸陵寮)には「狭城盾列池後陵」として「志賀高穴穂宮御宇成務天皇、在大和国添下郡、兆域東西一町、南北三町、守戸五烟」と記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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