猪俣村(読み)いのまたむら

日本歴史地名大系 「猪俣村」の解説

猪俣村
いのまたむら

[現在地名]美里町猪俣

南部の松久まつひさ丘陵から北部の山崎山やまざきやま丘陵にかけて所在し、中ほどはなだらかな起伏をもつ。天神てんじん川が北西の一部をかすめて北流し、北は中里なかざと村・甘粕あまがす村、東は榛沢はんざわ用土ようど(現寄居町)、南西は円良田つぶらた村、西は大仏だいぶつ村・湯本ゆもと村に接し、中ほどを鎌倉街道上道が通る。南部の丘陵に接して本村である上宿かみじゆく下宿うしろ東河原ひがしかわら宮前みやまえ頭無かしらなしのほか栃久保とちくぼ湯脇ゆわき、山崎山丘陵に接して小栗おぐり、鎌倉街道沿いの野中のなかといった集落がある。

横山党の祖小野義隆(義孝)は武蔵権介として任国に下向、その弟横山時資は当地に居住して猪俣氏の祖となり(「横山党系図」諸家系図纂)那賀なか郡・榛沢郡に勢力を広げたとされる。字蔵屋敷くらやしきには猪俣小平六の館跡が、また南部の丘陵標高三〇〇メートルのしろ山とよばれる頂部に猪俣城跡が所在し、本郭・二の郭・三の郭と空堀跡が確認できる。寿永三年(一一八四)平家を追って源範頼・義経に従い、摂津国に至った武将のなかに猪俣平六則綱(範綱)の名がみえるが(「吾妻鏡」同年二月五日条)、同年二月の摂津一ノ谷合戦で則綱は平盛俊を討つなどの活躍をしている(「平家物語」巻九)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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