猪俣 浩三(読み)イノマタ コウゾウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「猪俣 浩三」の解説

猪俣 浩三
イノマタ コウゾウ


肩書
元・衆院議員(社会党),元・アムネスティ・インターナショナル日本支部長

生年月日
明治27年7月20日

出生地
新潟県刈羽郡田尻村(現・柏崎市)

学歴
高田師範〔大正3年〕卒 日本大学法学部〔大正13年〕卒

経歴
大正15年司法官試験に合格し弁護士となる。自由法曹団設立に参画。昭和5年第2回普選に新潟3区から日本民衆党(地方無産党)候補として出馬するが落選。党解党後、社会民衆党に合流。戦後は日本社会党に入党し、22年の第1回総選挙以来、新潟4区から8選。45年引退。この間、党左派に属して、中執委、国対委員長など歴任。衆院法務委員会では、日本発送電政治献金、東大ポポロ事件造船疑獄、売春汚職などを問題化し、政府ににらみをきかせた。政界引退後、アムネスティ日本支部初代理事長を務め、徐兄弟や金芝河ら“良心囚人”釈放要求の先頭に立った。主な著書に「教育疑獄を弁護して」「統制法令の臨床解釈」「1億人の法律」「闇取引と刑罰」「抵抗の系譜」「占領軍の犯罪」などがある。

没年月日
平成5年8月21日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「猪俣 浩三」の解説

猪俣 浩三
イノマタ コウゾウ

昭和・平成期の弁護士 元・衆院議員(社会党);元・アムネスティ・インターナショナル日本支部長。



生年
明治27(1894)年7月20日

没年
平成5(1993)年8月21日

出生地
新潟県刈羽郡田尻村(現・柏崎市)

学歴〔年〕
高田師範〔大正3年〕卒,日本大学法学部〔大正13年〕卒

経歴
大正15年司法官試験に合格し弁護士となる。自由法曹団設立に参画。昭和5年第2回普選に新潟3区から日本民衆党(地方無産党)候補として出馬するが落選。党解党後、社会民衆党に合流。戦後は日本社会党に入党し、22年の第1回総選挙以来、新潟4区から8選。45年引退。この間、党左派に属して、中執委、国対委員長など歴任。衆院法務委員会では、日本発送電政治献金、東大ポポロ事件、造船疑獄、売春汚職などで政府を追及した。政界引退後、アムネスティ日本支部初代理事長を務め、徐兄弟や金芝河ら“良心の囚人”釈放要求の先頭に立った。主な著書に「教育疑獄を弁護して」「統制法令の臨床解釈」「1億人の法律」「闇取引と刑罰」「抵抗の系譜」「占領軍の犯罪」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「猪俣 浩三」の解説

猪俣 浩三 (いのまた こうぞう)

生年月日:1894年7月20日
昭和時代;平成時代の政治家;弁護士。衆議院議員;アムネスティ・インターナショナル日本支部長
1993年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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