猿川庄(読み)さるかわのしよう

日本歴史地名大系 「猿川庄」の解説

猿川庄
さるかわのしよう

神野こうの庄の東、貴志きし川沿いの谷間とその両側山地を荘域とする高野山領荘園北東貴志川上流に高野山六箇七ろつかしち郷の一つ毛原けばら郷がある。荘域は現美里町今西いまにしまつみね菅沢すげざわたになかたきがわ付近と考えられる。「続風土記」は「当荘は古の神戸の内なり、天暦元年くにまぎ氏の開発の地にして猿河ノ郷といひ、子孫世々此地を領す」と記すが、確実な史料上では、康治二年(一一四三)五月二五日作成の神野真国庄絵図(神護寺蔵)に神野庄内の村として「猿川村」とみえるのが早い。また久安三年(一一四七)五月二八日付の神野庄住人解(神護寺文書)には、「神野内猿川村」とある。

当庄がいつ一つの独立した荘園になったかは明らかでないが、寛元四年(一二四六)九月晦日の鋳師用途結解(金剛峯寺文書)には、「鋳師用途内饗并段米等日記事」として「二石神野 真国 猿川」とあって、当時すでに高野山領内の一荘として独立した荘園になっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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