日本歴史地名大系 「猿川庄」の解説
猿川庄
さるかわのしよう
当庄がいつ一つの独立した荘園になったかは明らかでないが、寛元四年(一二四六)九月晦日の鋳師用途結解(金剛峯寺文書)には、「鋳師用途内饗并段米等日記事」として「二石神野 真国 猿川」とあって、当時すでに高野山領内の一荘として独立した荘園になっている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
当庄がいつ一つの独立した荘園になったかは明らかでないが、寛元四年(一二四六)九月晦日の鋳師用途結解(金剛峯寺文書)には、「鋳師用途内饗并段米等日記事」として「二石神野 真国 猿川」とあって、当時すでに高野山領内の一荘として独立した荘園になっている。
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