玄倉村(読み)くろくらむら

日本歴史地名大系 「玄倉村」の解説

玄倉村
くろくらむら

[現在地名]山北町玄倉

北と北東丹沢たんざわ山塊の檜洞丸ひのきぼらまるひるヶ岳・丹沢山・とうノ岳などの峰が連なり、塔ノ岳山中を源とする玄倉川が西南に流れ、西は中川なかがわ村、南は皆瀬川みなせがわ村と接する。世付よづく村・中川村と併せて新山しんざん三ヵ村とよぶ。天正一八年(一五九〇)四月日の豊臣秀吉掟書(県史三)に「黒蔵」とある。

近世は小田原藩領。正保国絵図に「川村ノ内玄倉」とあり、古くは川村かわむら郷に属した。「風土記稿」によれば、寛文七年(一六六七)藩主稲葉正則より初めて当村山中の材木伐出しを命ぜられ、中断ののち代わった大久保氏より世付村・中川村とともに再度命じられたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android