玄界島村(読み)げんかいじまむら

日本歴史地名大系 「玄界島村」の解説

玄界島村
げんかいじまむら

[現在地名]西区玄界島

唐泊からとまり浦から北東海上一里ほどにある玄界島一島を村域とする。志摩しま郡に属する。近世初頭には北崎きたざき北崎村の内で、天正一九年(一五九一)三月二三日の志摩郡惣田数付(朱雀家文書)、小早川時代の指出前之帳などでは北崎村の内に含まれる。慶長石高帳には久島ひさしま村とあり、慶長七年(一六〇二)の検地高二二石余。田圃志にも久島村とあり、元禄五年(一六九二)の高三九石余。元禄国絵図には玄界島村とみえる。石高書上帳案の郡帳高も三九石余。土地は郡方の、人柄は浦方の支配に属したようである。永禄年間(一五五八―七〇)初め以降、しばしば襲来した海賊を避けて島民宮浦みやのうらへ避難、島は一時無人となったが、慶長期から帰島が始まったという(続風土記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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