改訂新版 世界大百科事典 「玉丸城」の意味・わかりやすい解説
玉丸城 (たまるじょう)
伊勢国度会(わたらい)郡にあった中・近世の城。田丸城とも書き,現,三重県度会郡玉城町田丸に城跡がある。1336年(延元1・建武3)10月に伊勢の南軍である度会家行らが北畠親房・顕信とともに城に入り,以後42年(興国3・康永1)に落城するまで南軍の拠点であった。その後北畠氏は多気(たけ)城に移るが,玉丸城も同氏の支配下にあり,北畠氏の家臣愛洲(あいす)氏,さらに北畠氏の庶流田丸氏の居城となる。田丸氏は田丸御所とも呼ばれ,その居城は大河内氏の拠る大河内(おかわち)城とともに,北畠氏の南勢支配の最重要拠点であった。1569年(永禄12)織田信長の侵攻後,その次男信雄(のぶかつ)の拠るところとなり,80年(天正8)信雄が細頸(のち松ヶ島,現,松阪市)に移転するまで,その領国の中枢となった。豊臣秀吉の政権下ではいったん田丸氏が復帰したが,90年から稲葉氏が在城した。のち1615年(元和1)津藩主藤堂高虎の領有となったが,19年8月,替地によって紀州藩領となり,久野氏が城主となって近代を迎えた。1869年(明治2)に廃城。県指定史跡。
執筆者:西山 克
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報