玉坂村(読み)たまさかむら

日本歴史地名大系 「玉坂村」の解説

玉坂村
たまさかむら

[現在地名]池田市石橋いしばし二―三丁目、豊中市石橋麻田いしばしあさだ町など

村の南東にあり、東の村境近くを西国街道が通る。村の東方には、千里丘陵の北西端にあたる玉坂山(邂逅山・適逢山とも)待兼まちかね山がある(豊中市の→待兼山地名は陽成天皇皇子の元良親王の歌にみえるのが早く、「津の国にたまさかといふ所にしりをき給ひける女に」の詞書とともに「こしまなる名をたまさかのたまさかに思出ても哀とはなん」とある(元良親王御集)。また同時期の壬生忠見の歌にも「昔かたらひ侍し人の年比ありてあひはへるつのくにたまさかといふ所にあるにすつむしの鳴けるに」と詞書した歌がある(忠見集)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報