元良親王(読み)もとよししんのう

精選版 日本国語大辞典 「元良親王」の意味・読み・例文・類語

もとよし‐しんのう‥シンワウ【元良親王】

  1. 平安時代歌人陽成天皇第一皇子。三品兵部卿。当代随一の色好みとして数々の逸話を残す。家集に「元良親王集」。「後撰集以下勅撰集に二〇首入集。寛平二~天慶六年(八九〇‐九四三

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朝日日本歴史人物事典 「元良親王」の解説

元良親王

没年:天慶6.7.26(943.8.29)
生年:寛平2(890)
平安前期の皇族公卿。陽成天皇と主殿頭藤原遠長の娘の皇子。三品。歌人として知られ,好色で風流人だった。その恋愛遍歴は家集『元良親王集』からうかがわれ,「いみじき色好におはしましければ,世にある女の,よしと聞こゆるには,逢ふにも逢はぬにも,文やり歌詠みつつやり給ふ」というありさま。『徒然草』によると,声はよく通って美しく,正月の奏賀のときなど大極殿から鳥羽の作道まで聞こえたという。距離を考えれば誇張であることは明らか。弟の元平親王と「寝覚めの恋」と「暁の別れの恋」について和歌で競いあった(『陽成院親王二人歌合』)。兵部卿に至る。

(朧谷寿)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「元良親王」の解説

元良親王 もとよししんのう

890-943 平安時代中期,陽成天皇の皇子。
寛平(かんぴょう)2年生まれ。母は藤原遠長の娘。三品(さんぼん),兵部卿。和歌にすぐれ,風流,色ごのみの人として知られた。歌は「後撰(ごせん)和歌集」以下の勅撰集に20首はいっている。天慶(てんぎょう)6年7月26日死去。54歳。家集に「元良親王集」。
格言など】侘びぬれば今はた同じ難波(なには)なるみをつくしても逢はむとぞ思ふ(「小倉百人一首」)

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世界大百科事典(旧版)内の元良親王の言及

【鳥羽作道】より

…古よりの名なり。元良(もとよし)親王(陽成天皇皇子,943没),元日の奏賀の声,甚だ殊勝にして,大極殿より鳥羽の作道まで聞えけるよし,李部王(醍醐天皇皇子,重明(しげあきら)親王,954没)の記に侍るとかや〉という逸話を伝えている。白河上皇により鳥羽殿が営まれてからは〈鳥羽の西大路〉とも呼ばれ,離宮へ至る表街道となり,この道を南下し淀から舟で淀川を下るコースが利用された。…

※「元良親王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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