玉手山城跡(読み)たまでやまじようあと

日本歴史地名大系 「玉手山城跡」の解説

玉手山城跡
たまでやまじようあと

[現在地名]御所市大字玉手小字城山

玉手山(一五五メートル)山頂にあった越智氏の貝吹山かいぶきやま(現高市郡高取町)支城本城の西南約三キロ。城山しろやま城山しろやま(白山)だに家中かちたにの小字が残る。南方は吉野―葛城を直結する吉野道を控え、北方奈良盆地を眺望する要害の地。越智氏一族玉手氏の居城。天正五年(一五七七)二月、玉翁宗光(玉手氏)・椿寂寿長(越智家高)二霊のため、越智一門が法華経一千部を読誦した石碑吉祥草きちじようそう寺観音堂北に残る(以前は同寺傘堂前にあった)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む