日本歴史地名大系 「玉楮象谷邸跡」の解説 玉楮象谷邸跡たまかじぞうこくていあと 香川県:高松市高松城下外磨屋町玉楮象谷邸跡[現在地名]高松市磨屋町玉楮象谷は幕末の彫刻・漆芸家で、本名藤川為三、字は子成、通称敬造といい、居宅は高松城南の職人町外磨屋(そととぎや)町の東から一区画目の南側、藤森(ふじのもり)荒神社の東隣にあった(弘化年間城下精図)。その北側は古新(ふるじん)町で、彫刻家藤川勇造の生家があり、象谷は彼の大伯父である。象谷の父は当町で鞘塗師をしていた藤川理右衛門。象谷は京都に出て、日本の伝統技術だけでなく宋代の堆朱、明代の存清、シャムに源流があるといわれる蒟醤(きんま)を学び、独自の玉楮塗の技法を確立、讃岐漆芸の源流となった。天保元年(一八三〇)九代藩主松平頼恕に召抱えられ、一〇代頼胤・一一代頼聡と仕えた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by