硯箱(読み)スズリバコ

デジタル大辞泉 「硯箱」の意味・読み・例文・類語

すずり‐ばこ【×硯箱/××筥】

硯や筆・墨などを入れておく箱。あたりばこ。

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改訂新版 世界大百科事典 「硯箱」の意味・わかりやすい解説

硯箱 (すずりばこ)

硯を納める箱。一般に漆器被せ蓋あるいは印籠蓋造にしつらえられ,硯ばかりでなく,筆,墨,水滴,刀子(とうす)(小刀),錐(きり)などの文具を納める。中国では筆墨硯紙など個々の文具を珍重し,硯に脚を付けたり,硯台と称する置き用具や硯の形にしつらえた蓋を伴うのが伝統であった。日本で奈良時代から平安時代にかけて用いられた硯も同様で,平城宮跡から出土している台脚付円硯や大阪府道明寺天満宮の伝菅原道真遺品〈白磁円面硯〉にみるように,中国以来の形を踏襲している。硯箱が作られるようになるのは平安時代後半で,早くとも10世紀前半のころと考えられる。以後,硯箱は日本の文房具の中心を占めるが,当時は漢風の文化から和様化が進み,宮廷調度の形式が整う時期であり,個々の文房具より,室内調度の一つとして文房具をセットで納置する箱が整えられた。

 硯箱の文献上の初見は,988年(永延2)東大寺の奝然(ちようねん)が弟子に託して宋王室に献じた進物中の〈金銀蒔絵(まきえ)硯箱〉で,その中には金硯のほか鹿毛筆,松煙墨,金銅水瓶,鉄刀などの文房具があわせて納められていた(《宋史》日本伝)。また12世紀半ばの成立とされる《類聚雑要抄》にも2種の硯箱が図示されている。一つは二重箱で,上段には中央に尺箱を置いて左右の筆架に筆,小刀,墨,錐をのせ,下段には左に瓦硯(がけん)と水滴,右に巻子台(かんすだい)を置いている。もう一つは身の左方が硯と水滴,右が筆架である。このように平安時代後期には硯箱の内部もさまざまな工夫がこらされ,蒔絵や螺鈿(らでん)で日本独自の意匠が施される。そのさまを如実に示すのが《源氏物語絵巻》の〈夕霧〉(12世紀,五島美術館)に描かれている蒔絵硯箱である。この硯箱は長方形の石硯を中にして,左右に筆,小刀を置く筆架あるいは懸子(かけご)を配している。《枕草子》に〈ふたつかけごの硯〉と記されているのもこの種の硯箱であろう。紫檀や黒柿のような名木による木地無文のものも作られたが,多くは漆塗で,これに蒔絵や螺鈿の装飾が施された。遺品では方形入角(いりずみ)形被せ蓋造の〈洲浜千鳥螺鈿硯箱〉(重要文化財,12世紀)が最古である。平安時代の蒔絵硯箱は文献類には散見されるがのこっていない。鎌倉時代の事例もわずかな数にすぎないが,そのなかでは源頼朝が後白河法皇より賜ったと伝える〈籬菊(まがきにきく)蒔絵螺鈿硯箱〉(国宝,13世紀,鶴岡八幡宮)が初期の名品である。内部の構造は平安時代の形制を踏むものであり,それは後世の硯箱においてもそのまま継承された。

 蒔絵硯箱が意匠的にも技法的にも洗練され,最高潮に達したのは室町時代である。唐物尊重の風潮が武士の間にも広まり,唐物文具の硯,硯屛(けんびよう),筆架などが愛されて座敷飾に用いられた。しかし書院には和物の調度も同時に配され,蒔絵師たちは唐物に対抗して純和風の伝統的な意匠の高揚を図り,その活路を硯箱に求めた。その最たるものは歌意をあらわした歌絵(うたえ)意匠の蒔絵硯箱である。室町時代以降の遺品はかなりの数にのぼるが,付属の書付(《慈照院義政公五面硯之記》)から義政五面硯の一つであったことが知られる〈春日山蒔絵硯箱〉(重要文化財,根津美術館)や〈小倉山蒔絵硯箱〉(重要文化財,サントリー美術館)が名高い。近世に入ってからのものでは,古典的意匠を扱いながら,大胆に螺鈿や金具を使用した光悦風蒔絵硯箱に佳品が多い。

 本阿弥光悦作の〈舟橋蒔絵硯箱〉(国宝,東京国立博物館),尾形光琳作の〈八橋蒔絵硯箱〉(国宝,東京国立博物館)はその代表的遺品である。また文台(ぶんだい)と硯箱が一具としてしつらえられるようになるのもこの期の特色である。一方,刳形(くりかた)脚の木製漆塗硯台に被せ蓋を伴う唐物風の硯箱も,中世以降流行した硯箱の一形式である。黒漆の一部に朱漆を塗布して色調の明快な区分けを行い,黒・朱対比の妙を発揮するところから,なかには根来(ねごろ)塗として珍重されるものもある。

 なお,室町時代末ころから掛硯(かけすずり)と呼ばれる携帯用の硯箱も作られた。片開きの扉を設けた長方形の箱で,中に3段の引出しがあり,下段には硯を仕込んでいる。箱の上板には提鐶(さげかん)が取り付けられており,さらに蒔絵などの装飾を施すことが多い。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「硯箱」の意味・わかりやすい解説

硯箱
すずりばこ

硯を中心に水滴、筆、墨、小刀、錐(きり)など筆記に必要な道具類を収めた箱。普通は木製漆(うるし)塗だが、木地のまま仕立てたものもある。古くから貴族、武家など上層階級の調度として発達し、文台や料紙箱とそろいの意匠で豪華に飾られた作品も多い。

 日本で筆墨による書写が盛行するようになるのは奈良時代以降のことだが、当時の硯や筆などの整理、収納のようすについての詳細は不明。今日知られている限りでは、硯箱の文献上の初見は、10世紀初頭成立の『延喜式(えんぎしき)』で、その太政官(だいじょうかん)式に「丹硯箱」がみえる。おそらく朱か弁柄(べんがら)で塗って装飾したものであろう。

 その後、硯箱が調度のなかで主要な位置を占めるとともに、その器物としての性格も趣味的、装飾的な色彩の濃いものになっていく。他の道具類とそろいの桐竹文蒔絵(きりたけもんまきえ)で飾られた硯箱(『長秋記』元永(げんえい)2年〈1119〉10月21日条)、藤原隆能(たかよし)の下絵になる海賦蓬莱(かいふほうらい)の文様が描かれた蒔絵硯箱(『台記別記』久安(きゅうあん)3年〈1147〉3月28日条)、そして雲鳥紋の蒔絵による重(かさね)硯箱(枕草子(まくらのそうし))など、いくつかの史料にみえる記載は、平安期硯箱の華麗な姿をしのばせるものである。また、硯箱の基本的な構造が定まったのも、この平安時代なかば以降のことと考えられる。『源氏物語絵巻』夕霧の一場面(国宝、五島美術館)には、身の内に細木を組んだ架台を設け、その上に硯や筆、小刀などを置いた大型の硯箱が描かれているが、これを『兵範記』久寿(きゅうじゅ)2年〈1155〉12月2日条の「硯筥一合 在瓦硯(がけん) 紫檀筆台……」という記載とあわせてみれば、筆架式ともいうべき初期の硯箱の形が浮かび上がってくる。またこのほかに、硯を中央に収め、その左右に懸子(かけご)を配する二枚懸子の形式も古くから用いられていたらしく、現存する硯箱のなかでもっとも製作年代のあがる波鵜螺鈿(なみにうらでん)硯箱(平安末期、重文)、籬菊(まがきにきく)蒔絵螺鈿硯箱(鎌倉初期、国宝、鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう))は、いずれもこの形をとっている。

 なお、以上の2形式に加えて、懸子を1枚だけ身の右方に収めるもの、硯と水滴がはまるだけの空間をあけた敷板(下水板)を身の内に落とし込んだもの、さらに光悦・光琳(こうりん)系の作品にみられるように、左方に硯と水滴を配し、右端に刀子(とうす)入れを刳(く)ったものなど、身の構造にもさまざまなバリエーションがあるが、これらはみな室町時代の末から近世にかけて登場した新しい形式である。

[小松大秀]


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百科事典マイペディア 「硯箱」の意味・わかりやすい解説

硯箱【すずりばこ】

硯,墨,筆,水滴(水を入れる容器),刀子(とうす),錐(きり)などを納める箱。中国や朝鮮では硯を箱に納めた例は少なく,硯箱の形式は日本で発達したと思われる。平安時代には,上下2段に分かれた筆架式と左右に懸子(かけご)を付ける懸子式があり,この2形式は後世まで引き継がれるが,室町時代以降2形式の折衷式や種々の形式が生まれ,携帯用の掛硯も出現した。硯箱は,多く漆塗で,蒔絵(まきえ)や螺鈿(らでん)が施され,工芸品としてすぐれたものが多い。室町時代の《春日山蒔絵硯箱》,江戸時代の《舟橋蒔絵硯箱》(本阿弥光悦作),《八橋蒔絵硯箱》(尾形光琳作)などが有名。

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世界大百科事典(旧版)内の硯箱の言及

【箱】より

…《類聚雑要抄》によると,手箱は内部に三つの懸子(かけご)を設け,数多くの小箱を納めた。〈眉造箱,歯黒箱,元結箱,鏡箱,釵子(さいし)箱,櫛掃(くしはらい)箱,櫛箱,白粉箱,爪切箱,熨斗(のし)箱,かもじ箱,硯箱,料紙箱を収め,万葉集抄,後選集抄,古今集とを収納する〉とある。なお,玉手箱は手箱の美称である。…

【文房具】より

…〈大宝律令〉には図書寮に造筆手や造墨手を置くことを定めているように,筆と墨が官庁寺社を中心に必需品として日本に定着した。さらに,日本独自の文具も生まれ,平安時代に始まる硯箱には工芸品として優れたものが多数残っている。文書を入れて運ぶための文箱(ふばこ)も日本で独自の発達をとげた()。…

※「硯箱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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