玉津村(読み)たまづむら

日本歴史地名大系 「玉津村」の解説

玉津村
たまづむら

[現在地名]鳥取市玉津

竹生たけなり村の南西山裾に位置する。中世玉出たまず保が成立していた。建武三年(一三三六)六月二一日と同年七月日の二通の諏方部三郎入道信恵軍忠状写(諸家文書纂所収三刀屋文書)によると、諏方部信恵は「出雲国三刀屋郷・因幡国玉出保等地頭」で、九州から上洛した足利軍の高師泰の手に属し、同年六月の京都争奪戦で二度にわたる合戦に参加した。信恵は貞和四年(一三四八)には三刀屋みとや(現島根県三刀屋町)惣領とのみ称し(同年二月一三日「諏方部信恵代子息扶直軍忠状写」同文書)、すでに玉出保地頭職をもっていなかったとみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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