玉生村(読み)たまにゆうむら

日本歴史地名大系 「玉生村」の解説

玉生村
たまにゆうむら

[現在地名]塩谷町玉生

船生ふにゆう村の東、あら川右岸に位置し、日光北街道が東西に抜ける。旧高野きゆうこうや堀・高野堀が南流する。大永三年(一五二三)三月二七日の宇都宮忠綱寄進状(写、寺社古状)で、成高じようこう(現宇都宮市)に「玉生郷」内の玉雲ぎよくうん(明治初年廃寺)が寄せられている。その後、宇都宮氏の後退によって同寺は成高寺より離れたが、同八年三月一九日の宇都宮興綱寄進状(写、同書)で再寄進され、同日付の芳賀高経施行状(写、同書)が出されている。今宮祭祀録(西導寺蔵)によると、今宮いまみや神社(現氏家町)に社家役として廻楼東西の平重門を玉生郷として勤仕、また同社祭礼頭役を文安三年(一四四六)より天文七年(一五三八)にかけて同郷の戸村式部兵輔・岡本筑後守などが勤めている。「下野国誌」所収の塩谷系図によると、忠景(弘長元年没)は玉生城を居城とし玉生氏を号したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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