朝日日本歴史人物事典 「王丸彦四郎」の解説
王丸彦四郎
生年:寛文8(1668)
江戸中期の篤農家,ウンカ(浮塵子)類の注油駆除法の発明者。筑前国糟屋郡多田羅村(福岡市)生まれ。宝永1(1704)年,多田羅村では6万8000人余を動員して宇美川沿いに堤防を築き,広大な六田開作地を開発したが,この開発の立願人が彦四郎であったという。享保5(1720)年,仏壇の灯明台を水田で洗ったところ,灯油(菜種油)が水面に流出し,そこへ落下した多数のウンカ類が死ぬのを観察した。そこでより廉価な鯨油を利用した注油駆除法を近隣地域に奨め,普及に努めた。享保17(1732)年の西日本一帯のウンカ類大発生時にも,多田羅村周辺では注油法の励行によってウンカによる被害と飢饉を免れたという。この鯨油による駆除法は寛文10(1670)年,遠賀郡立屋敷村の農民蔵富吉右衛門が発見したと伝えられるが,彦四郎の事績はこれとは別個になされたもの。なお,享保17年以降,各地で鯨油注油法が行われるようになり,幕府も代官に対して,その励行をしばしば布達している。<参考文献>小野武夫「害虫駆除史の一齣」(『社会経済史学』8巻11号)
(小西正泰)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報