王禹しょう(読み)おううしょう(その他表記)Wang Yu-cheng

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「王禹しょう」の意味・わかりやすい解説

王禹しょう
おううしょう
Wang Yu-cheng

[生]顕徳1(954)
[没]咸平4(1001)
中国,北宋初の詩人。鉅野 (山東省) の人。字,元之。粉屋の家に生れたが,文才が地方官に認められ,太平興国8 (983) 年進士に及第。右拾遺直史館となり,契丹防御の策を太宗に献じた。知制誥まで昇進したが,剛直な性格であったので人と衝突し,数回にわたって地方への左遷と中央への復帰を繰返した。咸平1 (998) 年頃『太祖実録』の編集にたずさわったが,宰相と衝突したことから,またもや湖北省黄州の知事に出され,王黄州とも呼ばれた。やがてきん州 (湖北省) に移され,赴任直後没した。西崑派全盛の宋初の詩壇にあって,李白,杜甫,白居易の詩を範として強い社会的関心を平淡でしかも明るい表現に包み,新しい宋詩の先駆者となった。また文章でも,きらびやかな美文の流行のなかで,韓愈,柳宗元の自由な散文を重んじた。著書『小畜集』 (30巻) ,『承明集』 (10巻) ,『集議』 (10巻) など。

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