日本歴史地名大系 「理兵衛堤防」の解説 理兵衛堤防りへえていぼう 長野県:上伊那郡中川村片桐村理兵衛堤防[現在地名]中川村大字片桐 田島天竜川の右岸、前沢(まえざわ)川口より下流にある。天竜川が牧(まき)ヶ原(はら)台地を回り西流して釜淵峡(かまぶちきよう)を抜け、前沢川を合流して流れを南に変える右岸の中村(なかむら)・田島(たじま)・南田島(みなみたじま)は、古来洪水の被害が絶えなかった。寛永元年(一六二四)田島の満水で西方台地の七久保の高遠原(ななくぼのたかとおはら)に移住した者が多く、以後においても洪水により移住する者が少なくなかった。そのためか寛文一二年(一六七二)の七久保の村高六八六石は寛政二年(一七九〇)には一千七四石となっている。前沢の地主松村理兵衛は代々この地の治水に尽力した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by