理宗(読み)りそう(その他表記)Lǐ zōng

改訂新版 世界大百科事典 「理宗」の意味・わかりやすい解説

理宗 (りそう)
Lǐ zōng
生没年:1205-64

中国,南宋第5代皇帝。在位1224-64年。姓名は趙昀(ちよういん)。太祖趙匡胤(ちようきよういん)10代の孫にあたる。4代皇帝寧宗のあとは沂王(きおう)の趙竑(ちようこう)が継承するはずであったが,宰相史弥遠(しびえん)はこれを嫌い策謀をめぐらし昀を擁立した。寡黙で朱子学に傾倒していた理宗は,1234年史弥遠の死とともに端平と年号改め,真徳秀らの学者を登用するが失敗。モンゴル重圧を前に,賈似道(かじどう)に政権をゆだねて南宋滅亡への道を開いた。理学(朱子学)にちなんで理宗と諡(おくりな)される。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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