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史弥遠 しびえんShi Miyuan; Shih Mi-yüan

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

史弥遠
しびえん
Shi Miyuan; Shih Mi-yüan

[生]?
[没]紹定6 (1233).10.4.
中国,南宋の寧宗,理宗両朝の宰相。字は同叔。諡は忠献。孝宗朝の宰相史浩の第3子。淳煕14(1187)年の進士,累進して礼部侍郎となり,寧宗朝の初め,宰相韓侂冑を殺害してとの国交を回復し,その功により嘉定1(1208)年宰相となり,寧宗の没後,理宗の擁立に成功して権勢をほしいままにした。

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世界大百科事典 第2版の解説

しびえん【史弥遠 Shǐ Mí yuǎn】

1164‐1233
中国,南宋の宰相。明州鄞県(現,浙江省寧波市)の人。字は同叔,諡(おくりな)は忠献。孝宗朝の宰相史浩の第3子。はじめ父史浩の蔭で1179年(淳熙6)に官に就き,87年科挙に合格して進士になった。昇進をかさね,寧宗朝(1195‐1224)なかば礼部侍郎になり,金と戦端を開いて敗れた強権宰相の韓侂冑(かんたくちゆう)を,楊皇后と結んで暗殺し,その功績で1208年(嘉定1)宰相に就任した。政治に無関心の寧宗のもとで楊皇后と結託して権力を伸ばし,寧宗が没するや,彼に反感を抱く皇太子の趙竑を廃して理宗を擁立し,いわゆる定策の功によって,権力の独占的掌握は絶頂に達した。

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