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賈似道 かじどう Jia Si-dao; Chia Ssǔ-tao

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

賈似道
かじどう
Jia Si-dao; Chia Ssǔ-tao

[生]嘉定6(1213)?
[没]徳祐1(1275).10. 福建,漳州
中国,南宋末の宰相。字は師憲。台州 (浙江省臨海県) の人。理宗の後宮に入った姉の縁で,30歳余で端明殿学士,宝祐4 (1256) 年参知政事,開慶1 (59) 年右丞相となる。来攻しきりの元軍を,割地納幣を密約して退かせた。

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デジタル大辞泉の解説

か‐じどう〔‐ジダウ〕【賈似道】

[1213~1275]中国、南宋の政治家。台州(浙江省)の人。字(あざな)は師憲。蒙古軍を破って功をあげ、財政立て直しのため公田法などを実施したが、のち、福建省へ流され、殺された。

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世界大百科事典 第2版の解説

かじどう【賈似道 Jiǎ Sì dào】

1213‐75
中国,南宋末の宰相。字は師憲,号は秋壑(しゆうがく)。台州(浙江省臨海県)の人。祖父の賈偉は科挙に合格して進士。父の賈渉はその恩蔭によって官に就き,理宗のとき淮東制置副使になった。賈似道も父の陰で官に就いたが,異母姉が貴妃となって理宗に寵愛され,皇后にもなろうかという勢いであったため,理宗との間に私的な信頼関係ができて昇進を重ね,1245年(淳祐5)に京湖制置使,49年に京湖安撫制置大使,56年(宝祐4)に参知政事(副宰相),57年に知枢密院事,58年に両淮宣撫大使となって,国境地帯の最高軍事権を掌握した。

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大辞林 第三版の解説

かじどう【賈似道】

1213~1275) 中国、南宋末の政治家。字あざなは師憲。モンゴル軍撃退の功で宰相となり、公田法などで財政の立て直しを行なった。再び、侵入したモンゴル軍に敗れ、流罪地漳州で殺された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

賈似道
かじどう
(1213―1275)

中国、南宋(なんそう)の宰相。字(あざな)は師憲(しけん)。浙江(せっこう)省台州の人。南宋の寧宗朝に制置使として淮南(わいなん)の防衛に活躍した賈渉(かしょう)の子。姉が理宗の貴妃(きひ)となったことから中央官僚に抜擢(ばってき)され、以後1259年に丞相(じょうしょう)、67年に平章軍国重事となり、文字どおり国家最高の実力者として権勢を振るった。いわゆる進士官僚による政治の独占と彼らの間での派閥抗争の激化が、かえってその規定のコースから外れた彼への皇帝の異常な信頼となり、その委託を受けて困難なモンゴルとの外交交渉にあたる一方、もはや救いようのない国内の幣制や土地問題の解決に大胆な改革を断行した。しかし、結果は裏目に出て、成果があがらぬままに南宋は瓦解(がかい)し、彼もまた亡国の責任を一身に負う形で福建省(しょうしゅう)の木綿庵(もくめんあん)に落とされ、途上、監送人の手によって殺された。[山内正博]

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世界大百科事典内の賈似道の言及

【宋】より

…さらに会子とよぶ紙幣を乱発して物価騰貴を招き,経済界を混乱させた。そこで賈似道(かじどう)は公田法を施行(1263)して大地主の土地を買い上げることにし,ある程度の成果を挙げた。しかし国力を挽回するまでにはいたらず,元の世祖フビライの攻撃をうけて,1276年に臨安が陥落,恭帝は元の軍門に下った。…

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