生井新田村(読み)なまいしんでんむら

日本歴史地名大系 「生井新田村」の解説

生井新田村
なまいしんでんむら

[現在地名]河東町八田(はつた)

北東は八田野(はつたの)村、北は漆沢(うるしざわ)新田村、南東は稲荷原(とうかはら)新田村、南西は明(あか)ル坂を下って松窪(まつくぼ)村(現会津若松市)。万治三年(一六六〇)の開村という。「新編会津風土記」に「二本松街道西の山中に散居す」と記され、現在も昔のままの散村である。水系は戸(と)ノ口(くち)堰。代田組に属し、文化一五年(一八一八)の村日記では生江新田とあり、高一八三石余。


生井新田村
なまいしんでんむら

[現在地名]小山市生良(きら)

思(おもい)川西岸に位置し、寒川(さむかわ)郡に属する。近世を通して下総古河藩領。慶安郷帳では田方一七〇石余・畑方一一五石余。天保(一八三〇―四四)頃の古河藩領村明細帳(茨城県潮田文書)によれば高四〇〇石余、うち新田一一五石余、反別は田三三町五反余・畑三四町一反余、取米一三九石余、取永二八貫余、ほかに小物成永五貫七一八文・夫永二貫二四五文、大豆一一石二斗余、糠藁永を上納。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報