日本歴史地名大系 「生土村」の解説 生土村いきどむら 静岡県:駿東郡小山町生土村[現在地名]小山町生土東流する鮎沢(あゆざわ)川を挟んで小山村の北、西丹沢(にしたんざわ)の支稜が北から迫る河岸段丘上に位置する。東は相模国川西(かわにし)村(現神奈川県山北町)と接する駿相国境の村である。天正八年(一五八〇)五月七日、甲斐武田氏は敵地へ欠落した室伏内膳や太郎左衛門ら六名の屋敷・名田などの処置を鈴木若狭ら竹之下(たけのした)の三名に命じている(「武田家朱印状」鈴木文書)。生土村代次や室伏系図(いずれも室伏家文書)などによれば、室伏内膳ら六名は天正七年二月、武田氏の領分だった一色(いしき)から小田原北条氏の支配下にあった当地に欠落、六人のうち室伏内膳と太郎左衛門(尾崎氏)の二家が近世の当村の構成員となり、ほかの四名は村を出て江戸や東山(ひがしやま)新田(現御殿場市)へ引移ったという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報