20世紀日本人名事典 「生島竹雨」の解説 生島 竹雨イクシマ チクウ 大正・昭和期の日本画家 生年明治31(1898)年11月2日 没年昭和18(1943)年10月14日 出生地島根県松江市 本名生島 義雄 学歴〔年〕松江農林高校中退 経歴早くから浮世絵に興味があり、恩師の勧めもあって松江農林高校を中退後、絵画の勉強のために上京。鏑木清方の画塾に入門し、兄弟子である門井掬水の画風に感銘を受けて画技を研鑽した。大正11年に帰郷、水郷社に拠って画業に邁進したほか、個展も開催。また、版画家の平塚運一らと共に「松江絵を語る会」を興し、その同人となった。松江出身の美人画家の第一人者と称される。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「生島竹雨」の解説 生島竹雨 いくしま-ちくう 1898-1943 大正-昭和時代前期の日本画家。明治31年11月2日生まれ。郷里島根県松江市で画才をみとめられ上京,鏑木清方(かぶらき-きよかた)に師事した。大正11年帰郷し,版画の平塚運一らとともに「松江絵を語る会」同人として活躍。美人画を得意とした。昭和18年10月14日死去。46歳。本名は義雄。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by