日本歴史地名大系 「生月町」の解説 生月町いきつきちよう 長崎県:北松浦郡生月町面積:一六・五六平方キロ平戸島の北にある生月島を町域とする。平戸島との間に辰(たつ)ノ瀬戸がある。東西約三キロ・南北約一二キロの南北に長い地勢で、北は玄界灘に臨む。長崎県下の島としては珍しく海岸部に岬や入江の発達がみられないが、西岸には玄武岩の柱状節理の断崖が続いており、西海(さいかい)国立公園に指定されている。中央部やや西手に番(ばん)岳(二八六メートル)・山頭(やまがしら)(二五七メートル)など山嶺が連なり、その東方は緩傾斜で耕地が開けている。河川は北部にうこの川、南部に神(こう)ノ川・桜(さくら)川などがある。主要地方道の平戸―生月線がある。町域には旧石器時代の番岳(ばんたけ)遺跡、縄文時代の渋柿(しぶかき)遺跡・潮見崎(しおみさき)遺跡がある。古墳時代では富永(とみなが)古墳・上骨棒(うわほねぼう)古墳群などがあるが、後者の円墳は六世紀後半の造営と考えられる。律令制下では松浦(まつら)郡に属した。律令政府が派遣した遣唐使船が停泊する島であり、また兵部省の管轄する生属(いきつき)馬牧が置かれていた。平安末期から鎌倉期にかけては宇野(うの)御厨のうちであったと想定され、同御厨から貢進された牛は当地産であった可能性がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by