バテレン追放令(読み)バテレンついほうれい

精選版 日本国語大辞典 「バテレン追放令」の意味・読み・例文・類語

バテレン‐ついほうれい‥ツイハウレイ【バテレン追放令】

  1. 〘 名詞 〙 豊臣秀吉天正一五年(一五八七)に発した禁令キリスト教邪法として禁じ、外国人宣教師を二〇日以内に国外追放することを命じた。

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関連語 伴天連 方針 名詞

山川 日本史小辞典 改訂新版 「バテレン追放令」の解説

バテレン追放令
バテレンついほうれい

1587年(天正15)6月19日付で豊臣秀吉が発布した宣教師追放令日本を神国とし,キリシタン神社仏閣を破壊する邪法と規定したうえで,宣教師の日本退去を命じたもの。イエズス会の布教活動に深刻な影響を及ぼしたが,その後も潜伏し活動を続けた宣教師も多い。貿易は許可するとしていたため,実際のキリシタン排除にはあまり効果がなかった。前日付で発布された「覚」とあわせて考えると,豊臣政権は宣教師・キリシタン武士によるキリシタンを媒介とした集団化に,一定歯止めをかけようとしたと思われる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バテレン追放令」の意味・わかりやすい解説

バテレン追放令
バテレンついほうれい

天正 15 (1587) 年豊臣秀吉が九州征伐直後博多で出した法令。キリシタンの禁止バテレン (伴天連)の 20日以内国外追放を定めたが,船の来航は禁止しなかった。長崎教会領の現状が支配機構を危うくする方向にあるとみなされたためである。貿易に対する影響を考慮してただちには励行されなかったが,同じ方針は江戸幕府に受継がれた。 (→日本のキリスト教 )  

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