生池城跡(読み)なまいけじようあと

日本歴史地名大系 「生池城跡」の解説

生池城跡
なまいけじようあと

[現在地名]勝本町 百合畑触

城山じようやまに築かれた中世の城跡。史料上はうしヶ城・宇志賀うしが城とも称される。松浦党の本城源壱の居城という説がある。本城氏は天文一〇年(一五四一)寄進の報恩寺蔵十一面観音像底銘文に井手忠兵衛とともにその名が記される。「壱岐名勝図誌」によれば、二重の堀に囲まれ、内堀は幅五間四尺五寸・深さ三間余・周囲二町三間半、外堀は幅三間二寸・周囲二町五〇間。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ローマ法王ともいう。ラテン語 Papaの称号はカトリック教会首長としてのローマ司教 (教皇) 以外の司教らにも適用されていたが,1073年以後教皇専用となった。使徒ペテロの後継者としてキリスト自身の定...

教皇の用語解説を読む