生馬庄(読み)いこまのしよう

日本歴史地名大系 「生馬庄」の解説

生馬庄
いこまのしよう

興福寺一乗院領荘園である。鎌倉中期の簡要類聚鈔(京都大学蔵一乗院文書)には生馬庄について

<資料は省略されています>

とある。これによると、生馬庄は定覚中僧正のとき厚厳房がその私領を寄進することによって興福寺一乗院領となっていったものと考えられる。寄進の時期は鎌倉初期以前であろうか。その後、分割相続によって一分いちぶと二分とに分れたが、二分方では不知行のため問題が起こっている。年貢・諸公事物は一庄としての分があげられている。

次に嘉禎二年(一二三六)の大中臣国清家地売券(東寺文書)に「家地壱所者、在大和国平群郡生馬下御庄行清名池原、四至限東類地際目 限西類地垣根竹東 限南河岸 限北ミソ」とある。これは大中臣国清が相伝の家地を売却した時の文書の一部であるが、生馬下庄行清名池原いけはらは現生駒市小倉寺おぐらじ町小字池原・同壱分いちぶ町小字池原尻いけはらじりに比定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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