県西北隅、生駒山(六四二・三メートル)東部に位置する。東に
イコマの初見は、「日本書紀」神武天皇即位前紀戊午年条の「胆駒山」で、おもに山名として現れ(→生駒山)、往馬(延喜式)の表記もあり、生駒山の東麓、平群郡北部の地名であろう。
縄文・弥生時代の遺跡はほとんど知られていない。わずかに市内の
神武天皇が古ともいい(古事記)、登美は現高山町から奈良市西部にわたる富雄川沿いの古地名といわれる。当地北部・東部にはこのような土着有力氏族の存在が考えられ、また南部の平群谷を拠点とした平群氏の勢力はもちろん当市域にも及んでいたであろう。
平群郡の中心は現平群町・斑鳩町であったが、生駒市西方には霊峰生駒山があり、東麓
当市域は辺境に属し、山がちのため条里の施行はなかったと考えられ、また「和名抄」では、わずかに添下郡
この地方には奈良時代以来の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報